情緒よりも主観。

うたプリやアニメや映画について、思ったことをいろいろ書くオタクブログです。

「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」について

そもそも「プリズムの煌めき」ってなんだよ!?

というところから唐突に始まった「プリズムの煌めき」についての考察です。対象はレインボーライブ(RL)とKING OF PRISM(キンプリ)に絞りますが、応用自体はオーロラドリームやディアマイフューチャーにもできるように心がけたつもりです。スッスッス第4章の前にやっておかなきゃだめだと思ったのでやります、いまから! どうぞ!

 

※RLとかキンプリとかキンプラのネタバレめちゃくちゃしてるので気をつけてね。

 

ニュートンのプリズム実験

プリズムのこと漠然と虹を作れる三角柱だと思っていたので、改めて調べました。Canonの子供向けページが非常にわかりやすかったのでそこでまとまってる内容から広げたいと思います。

彼は、実家の窓の扉に小さな穴をあけて、太陽の光を暗い部屋に入れ、プリズムに当てました。すると、白い色をしていた太陽の光は、虹のように赤色から紫色の七つの色に分かれてプリズムから出てきました。

これらの色をレンズとプリズムを使って集めると、ふたたび白い色に戻ります。こうしてニュートンは、「太陽の白い色の光は、すべての色の光が混ざったもの」であること、そして「色によって屈折する角度がちがう」ことを、確かめました。

アイザック・ニュートン|キヤノンサイエンスラボ・キッズ

これに基づいて、当記事では物理的な「プリズムの煌めき」を「太陽光の分散によって発生した光」ということにします。「虹」と言い換えてもいいかもね。

 

プリティーリズム・レインボーライブ』は「虹」の物語

RLはキーワードとして「7つの虹」「セブンスコーデ」、主要キャラクターも実質7名の女の子です。そもそもタイトルに「虹」ついてるし。ここは疑いようがないと思います。では、なにをもって「プリズムの煌めき」とするか。これは彼女たちひとりひとりが悩み抜いて答えを掴むまでの軌跡そのもののことだと思います。

RLでは男子プリズムスタァによりフォーカスが当たりました。そう、みんな大好きOver the Rainbowです。「虹」の物語で『「虹」の先を超えていく』ユニットが生まれるわけです。

 

「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」

通称キンプリ・通称キンプラでは、先述のオバレにエーデルローズのスタァ候補生7名、敵対勢力シュワルツローズの候補生たちを加え、男子プリズムショー界のトップ「プリズムキング」を目指した戦いが展開されます。

その過程で、「プリズムの煌めき」とは異なる光の概念が登場します。それが「太陽の輝き」です。「太陽の輝き」でイメージするのは、マイソングやプリズムジャンプが直球で太陽モチーフの一条シン、そして、彼の前世の姿として示唆されたシャイン。シャインについては「プリズムの使者でありながら表舞台に立つ」という特大の禁忌に抵触した上「すべての人を魅了しかけ」「世界を滅ぼしかけた」ことがりんね、及び如月ルヰによって示されています。シンにも似たような力があり、シンのプリズムショーを見た者は彼に魅了されてしまうようです(出典明記できないけど監督証言あり)

「太陽の輝き」を持つ者が「魅了の力」を持ち、魅了された人々の世界が滅ぶのならば、RLで描かれた世界を救った「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」は対をなす概念だと考えられます。ルヰがシンを刺した際、「虹」が「太陽」に吸い込まれていく描写がありましたが、無関係な描写ではないと思います。

 

プリズムキング=「太陽の輝き」?

「太陽の輝き」を語るためのもうひとりの人物が、プリズムキングを勝ち取ったの速水ヒロです。ヒロは3連続ジャンプ「銀河ブレイクショット伝説 絶対王者パックス・ヒローナ」において、自身を中心として太陽系を再編し、4連続ジャンプ「王位戴冠 THE KING OF  PRISM」でこう宣言します。

「朕はプリズムショーなり!」

KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』速水ヒロ

これはフランス国王ルイ14世の言葉もしくはそうとされる創作セリフが元ネタですが、ルイ14世の通称は「太陽王」なんですよね。しかし、ヒロは自身の「プリズムの煌めき」をもってコウジ・カヅキ・べるを具現化させています。ニュートンが証明している通り、「虹」は集約すると「太陽の輝き」になるので、ヒロと「太陽の輝き」は直結せず、ヒロの「プリズムの煌めき」の粋が「太陽の輝き」に匹敵したというだけだと思います。ただし、物語的にはヒロのプリズムショーは「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」の分化を難しくしてしまったという功罪が認められるかもしれません。

 

法月仁と如月ルヰ

仁が「プリズムキング」という概念そのものを否定し、新たに「プリズムワン」という概念をぶち上げたのがスッスッスの始まりです。仁の幸せを願ってるオタク視点では完全に見落としていたんですけど、プリズムの使者視点だと話が違うんですよね。

プリズムキングが「太陽の輝き」に近づきすぎてしまったのなら、「プリズムの煌めき」を伝道するに相応しい人物を別のルートで選ぶ必要がある…….仁の行動は、プリズムの使者としての如月ルヰ」の思惑に沿うものになる。監督が「ルヰは考えがあって仁のそばにいる」って言ってたんですけど、合ってるならこういうことなんじゃないかな……ただし、彼がプリズムの使者としての役目を放棄していなければ。ルヰのフェザーがナイトドリームフェザーになっていることを踏まえると、その線が強い。

 

「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」

ここでプリリズ記事のご紹介です。

どこまでも「自分は自分以外の何者にもなれない」ことを徹底して描くプリティーリズムにおいて、どれほど苦しむことになろうとも自分の人生に向き合った軌跡、則ち「プリズムの煌めき」は作中是であります。しかし、それと相反する概念である「太陽の輝き」に魅せられることそのものは決して否定しないのもプリティーリズムの素敵なところです。例を挙げるなら、母の笑顔を見たかったべる、三強に憧れたヒロ・カヅキ……。彼らは彼らだけのやり方で「太陽の輝き」に区切りをつけ、彼ら自身が持つ「プリズムの煌めき」もってプリズムショーを作り上げていくことになります。そしてそれこそが他者にとっての「太陽の輝き」となる……このふたつは、相反するかもしれないけど、循環することができる概念である、というのを結論にしたいと思います。