情緒よりも主観。

うたプリやアニメや映画について、思ったことをいろいろ書くオタクブログです。

ガチ酔いで蒼穹のファフナーダイレクトマーケティング

ファフナー見ろよ!
そしてわたしと語ってくれよ!!!

という気持ちが暴走しすぎたのでダイマします。
いろんな人がわかりやすく解説してるから、わたしはもはやどこがよくてどこが好きかわからないくらい好きなものを適当に言語化する。

とにかく人がたくさん出てくる。
その中でも中心になるのはコミュ障の主人公と、幼馴染のコミュ障。
彼らが紆余曲折を経てコミュニケーションする話。
彼らの関係がそのまま世界の縮図になってる。
でもそれはもうわたしの言葉では語り尽くしたところが大きいというかもう語る必要ないよ見ればわかるから。

彼らの故郷は命がけのひょっこりひょうたん島
他の人類やフェストゥムという意思疎通できない未知の存在から隠れたり戦ったりしてる。

そんな島でも普通の暮らしが営まれてる。
ファフナーの魅力はそういうところ。
そんな世界でも普通に家族は家族だし田舎は田舎ってところ。
(それがよくないほうに作用することもあるけど)

家族の話で好きなのは、ある男の子が、告白しようと思ってた女の子が昏睡状態になったり、親友が戦死してしまったりして戦うことから逃げてしまったとき、彼のお母さんがとても母親だったこと。
彼が危ない目に遭わないことに安堵しながら、彼が勇気を持つことも望んでいるという、趣深い名シーン。
絵面やインパクトはないんだけどね、染みるの。

フラグクラッシャーのおじさんが、「俺たちが盾になって子供たちを守るんだよ!」っていうシーンがあって、そういう場面が本当にたくさんあるの。
伊達に子供が主人公だけど親の名前全員言えるようになるアニメじゃない。

ここまででなんとなくわかったとは思うけど、これロボットアニメで人死にもあって、一見鬱アニメっぽいけど全然そんなことないの。
誰かがいなくなっても、いままで積み重なってきた思い出があとから思い出されて、死にすら意味があるように思えてくるの。
死者が生者の道となるってね。
脚本の方がよく用いるテーマなの。

だから、誰かがいなくなってもどこかに新しい希望があって、悲しいしつらいけど、それだけじゃないの。
もちろん明るい未来が保障されてるわけじゃないけど、希望があるの。

人間の生き方とか成長とか、いろんな形で描かれてて、熱い話かと言われればそうじゃないし、かと言って暗くもない。
胸に穴が空くような話。