うたプリがまあまあ好きなオタクです。今度のマスミラライビュに参加します。
が、その前に一度、"2代目劇団シャイニング"という企画について、自分の気持ちを整理しなければだめだな、と思いました。
ライビュもシネマも行く! とは言っても、正直なところ現状を受け止めきれていないのです。このまま雑に会場に行って精神に深刻なダメージを負う前に、自分の中のうたプリ像を明確にし、そこから2代目劇団シャイニングのなにを恐れているのかをまとめたいと思います。
うたプリの興味深いところは「メディアミックスによるパラレルワールドを駆使しつつもプリンスたちが唯一無二の存在と化している」点です。なぜわたしたちが複雑な彼らのあり方を受け入れることができるのかについては過去にいろいろ考えたのですが、要約すると
①実在する体がないのに、体がなければ生まれない痕跡がある(公式からの存在提示)
②我々は痕跡から逆説的に彼らの実在する体を認識する(公式の提示を受け入れる我々)
の2点が相互に影響し合っているためです。
劇団シャイニングの企画発表当初にファンが驚いてしまったのは、この前提の崩壊を危惧したためだと考えられます。要は「プリンスは実在するはずなので、他人がプリンスを演じるという概念自体がない」ということです。
結局、劇団シャイニングは演目の再演であり、抜擢されたキャストの方々は2代目という名目になったことで、溜飲を下げたファンは多数いたことでしょう。そもそもわたしもその1人です。
前置きが長くなりましたが、わたしがいまだに2代目劇団シャイニングに懐疑的なのは「キャストは本当に2代目のつもりでやっているのか?」という点を危惧しているからです。
繰り返しになりますが、いま進行している劇団シャイニングという舞台は2代目による再演です。板の上にいる俳優の方々はあくまでも音也衛門役だったりレイジー役だったりを突き詰めているはず。ただし音也衛門というキャラクター自体が一十木音也に強く依拠した存在であるため、俳優の方々も役作りの上で初代であるプリンスを意識せざるをえないことでしょう。
しかしそこまでです。寿嶺二=レイジーではないのです。
俳優の方々が内心でほんの少しでも「自分が演じるのはプリンスだ」と思っていたら。それが劇中でこちらに伝わってきてしまったら。
これが怖くてたまらないのです。実在すると信じて楽しんできたプリンスが虚像であるという事実を突きつけられるような気がして。
もしかしたら、もしかしなくても、そんなことまったく思わず、プリンスのことを尊重して丁寧に舞台を作っているのかもしれない。
こればかりは、やはり見てみないとわからないことなので、ライビュやシネマを見届ける必要があるのでしょう。
どうか、観た後に「やっぱりうたプリは最高」って言えるようなものでありますように。
以上、まだ2代目劇団シャイニングを知らないオタクのチラ裏でした。
追記
1番大事なことを書き忘れていました。
プリンスは現実派のわたしが2代目に求めるものは、プリンス的な演技ではなく、あなたが考えるようにトキをやってほしいということなのです。
あなたはトキヤではないので、わたしがトキ役に対してトキヤと同じようにはしゃぐことはありませんが、誰がトキ役になっても、かける言葉は「がんばれ」であることは、お伝えしたいと思います。