2019年春、『響け!ユーフォニアム』をほぼ完走。ものすごく深く刺さるが感想が書けずに放置。
2019年夏、『Free!』をほぼ完走。彼らの情念に思うところありまくりで感想ブログを書くものの、要領が得ない感じで微妙な出来。
どうしてうまく言語化できないんだろう……!
言いたいことが(いい意味で)山ほどある作品なのにもどかしい……ならばこのもどかしさを言語化しよう、という試み。
※スタジオ同じ以外の外部要因は考慮しません。思いつきで書いてるので。
両作の共通点
・主人公たちが高校生
・部活もの
・群像劇
・主人公が最初漠然と生きている
・主人公の親友の目標が高い
……くらいしか思いつかんのですが、まあ見えてくるものもある。個人的に注目したい、というかここに集約されるだろ、というのは「主人公たちが高校生」と「群像劇」です。
群像劇-1
個人的に『Free!』のほうが言語化しにくいということもあり、『響け!』よりも『Free!』に強い要素の話を先に。
わたしがいままで触れてきた群像劇は『蒼穹のファフナー』や『プリティーリズム 』といったラインナップ。どちらも「俺が生きる意味!」「私ができる最善!」「俺はお前! お前は俺!」って感じのことを登場人物全員がやっているんですね。これは全員同じことをしていると言いたいのではなく、各自が向き合うべきテーマに対する姿勢の話です。つまり登場人物の一挙一動が作品の根底に流れるテーマに直結するような構造になっている。
言語化しにくいコンテンツ、あんまりそういう感じじゃないかも、ということにね、さっき気づいたんですよね。いやわたしが気づいていないだけで登場人物全員が背負うテーマあるのかもしれないんだけど、強くは描いてないんじゃないだろうか。むしろ、一人一人に違うテーマ背負わせることこそがテーマなんじゃないだろうか、という見解です。
ここで一旦次章へ。
主人公たちが高校生
存在証明系群像劇に慣れすぎて、自分の存在理由に気づく中高生のほうがレアだということに気づかなかったよ、さっきまで。*1存在証明系群像劇は、老若男女問わず極限状態で存在理由を探さざるを得ないだけで、本来高校生ってそうじゃないんだ、そうじやないんだよな〜ッ!
本題に戻ろう。高校生の全員が全員、将来の夢を定めてそれに向けて努力しているわけではない。部活にしても、目的意識を持ってやっている子が全員ではない。そういう漠然とした生活になにか変化があって、いろいろあって目標を定めて努力する……そういう「ゆっくり大人になる」過程を見れるのが言語化しにくいコンテンツなんだなあ……という、これに関しては単純に新鮮な気持ち。
人間の存在理由ってテーマなんだな……言いたいのは「なりたい自分」が人によって違うのは当たり前だということ。ここでまた「群像劇」に戻る。
群像劇-2
ここまで来るとわたしの見方の問題だと気づいた。大きなテーマを重視しがち問題。存在証明系群像劇の子たちも「なりたい自分」はそれぞれの像を描く。ただ"大きな目標"が前提としてあって、わたしはどうしてもそっちを見てしまう。
『Free!』も『響け!』も壁は描くけど、壁そのものが全体の主題にはならない。壁は当人だけのもの。全員にとって同じ壁はない。
まとめ
個に通底するものがテーマではなく、個が個であることそのものがテーマ、むしろテーマというものがないまである……というのがとても新鮮でした。主題大好きオタクに新鮮な感情を芽生えさせてくれてありがとう!
*1:そもそも存在証明系群像劇の子も「もっとゆっくり大人になりたかったな」って言ってるんだよなあ……。