情緒よりも主観。

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『幻想水滸伝Ⅱ』で体験するのは"戦争"ではなく"生活"である

突然ですが数年ぶりn度目となる『幻想水滸伝Ⅱ』のプレイを終えました。

とても素晴らしいゲームであることを再認識でき、とても有意義な時間でした……。

 

上記の通り、幻水2にはオケコンを観に行くほどの思い入れがありますが、プレイ自体は本当に数年ぶりでした。しかしn周した経験はダテじゃなかったようで、完全に指が操作を覚えていた。

そのくらい繰り返しプレイしたゲームなのに、何度も見たはずの名シーンでも新たな気づきを得た。今回のプレイで気づいたのは「このゲームが描くのは戦争ではなくそれすらも含めた生活である」ということでした。

 

民衆の生活描写の細やかさ

このシリーズは仲間キャラは街にいても一目でわかるくらいグラフィックが全然違うのですが、そうではない、いわゆるモブですら人間(人間とは別の種族も含むものとする)として生活しているんですよ。それぞれが村や街で、自宅や職場や溜まり場で生活している。

セリフの内容も様々。炊事の話から戦争の話まで幅広く話してくれる。イベントのたびに街のモブのセリフが変わるところもまたリアル。ハイランド王国*1に怯えていた人々が、主人公グループが一戦勝利すると応援してくれるようになるのがわかりやすい例でしょうか。主人公グループはいわゆる主導者的立場にあるので、主人公の正体を知らない人の声も好意的なものに限らない。

民衆が二国間の戦争をどう思っているかを探索時に聞けるのだが、同じくらいその日の暮らしについての話も聞ける。ハイランド王国と都市同盟が長くに渡り緊張状態にあったからこそ、彼らにとって戦いは生活の一部と化していることがわかるようになっている。

 

本拠地で生きる人々

本拠地が拡張されること、またそれに伴って労働者や旅人が増えていくのも、生活描写のリアリティに拍車をかけていると思う。前作の『Ⅰ』は住んでる様子が描かれたのは108星だけだから、より一層そう思う。ただの要塞が少しずつ"街"になっていくのが、シリーズ全体を通して楽しい要素なのだなあと実感。

 

生活を奪われた民衆のあり方

以前プレイしたときに感動したのは、焼き討ちに遭った村が細々と復興を始めていたことだったんですよね。いつまでも打ちひしがれているばかりではなく、自分たちの生活を取り戻そうと足掻いている。それは主人公が迎えるエンディングそのものでもある。

このゲームはその世界に生きる人の描写が本当に美しいと思ったのでした。

 

とにかくやってみてくれないか?

オールドゲームなので、プレイには気合がいるかもしれない。でも古いソフトとハードを買って、30時間程度を割く価値は十分にあると思う。ひとりでもこの世界を知る人が増えてほしい、わたしの話し相手がほしいから。

本筋もいいゲームなんだ、ぜひやってみてほしい。

 

 

 

*1:主人公グループの対立国。幻水2は二国間戦争を主軸に進む