情緒よりも主観。

うたプリやアニメや映画について、思ったことをいろいろ書くオタクブログです。

暴走する霊柩車を見たくはないか? 『HUMAN LOST 人間失格』で見れます!

この映画の存在を知ったのは、確かFashionPressだかのツイートだったと思う。「脚本:冲方丁、主演:宮野真守」って書いてあったら、わたしのための映画か!?観るわ!!!となるのも致し方なかろう?

それをきっかけに公式Twitterをフォローして動向を見守りつつ、微妙に機会を逃して結局初見が12/3の夜の回(一応初週)。結果「マジでわたしのための映画か?」となって2019年12月14日現在2回観た(2回しか観れてないとも言う)。ちなみに15日に3回目を観るつもりです。

だってめっちゃよかったんだよ~~~!!!

全力全開のうぶみ、それをガンガン高めてくれるポリゴン・ピクチュアズのCG、主人公の“存在”でも“虚無”でもない雰囲気を的確に表すマモの演技……その他諸々、好みの要素が詰まりすぎていた。感想と言うにはまとまりがなさすぎるので、繋がりがある風のメモという形にしようと思いました。

正直原典はうろ覚えだし……要領いいつもりで生きてきた主人公が、同級生にそれを見抜かれて動揺するところ、嫁を寝取られることしか覚えてない。……ので、「この映画が太宰治人間失格』である意味」みたいな話は当然ムリです。そこはパンフレットとか有識者にお任せします。

下にずらっと書き出してみたら思った以上に「冲方丁~~~今回も最高~~~!」って話をしている。それではどうぞ。

2019/12/15:宣言通り3回目を見てきたのでちょろっと加筆しました。

2019/12/19:思いつきがあるので加筆しました。

 

 

うぶみその1:存在、虚無、その狭間の人間の三角形

冲方丁のいつものヤツ!でまとめていいかな?

大庭葉藏、柊美子、堀木正雄の三角形の話をするのは難しい。この作品ではたぶん美子=存在、正雄=虚無、葉藏=その狭間の人間だろうけど。

ラストバトルで寝取りの構図をなぞったのはそーくる!?って驚きつつも、その果てでの葉藏の選択が痛みと向き合うこと=存在を選んだのは「らしい」なあ……と安心感を覚えました。

 

うぶみその2:存在することの痛み

蒼穹のファフナー』1期26話にて皆城総士が叫ぶ言葉通り、現実世界には生きてるだけで味わう痛みや苦しみがあるわけですが、本作はS.H.E.L.L.に心身の健全さを“管理された”世界なのでそれがない。だから暴走族が「簡単には死なないから」と無茶苦茶な走り=自傷行為によって生の実感を得ている。そのトップを務める竹一が言う通りそれは「俺は俺を取り戻す」手段だからなんですよね。

結局存在と痛みは不可分。最終的に、葉藏も一生続く割腹自殺=身体的外傷、一生続く美子殺し=心理的外傷を背負っている。

 

閑話休題みゆきちマダム

みゆきちマダムがいちいち真理だと感じました。押しつけがましくなく自分の気持ちを吐露しているの大人だ~~~って単純に好きのきもちもあります。

言い回しがいちいち好き。「あなた……信じる天才なのね」「なにが合格かなんてだれが決めるの」のそこはかとないうぶみを感じた人間はたくさんいると思うがどう?

みゆきちマダムの話聞いてると、釈放されたうぶちんが気合で喫煙再開した話*1を思い出しません?

あと個人的に伊藤計劃『ハーモニー』に対するアンサーっぽさも感じた*2

 

うぶみその3:「死者が生者の道となる」宗教編

この人は本当に「死者が生者の道となる」*3がテーマの人なんだなあ……と各描写を見て思いました。

暴走族の溜まり場がお寺なのブラックユーモアが溢れすぎでしょ。「人が死なない=弔うべき人がいない=弔うという行為そのものの衰退」ってパンフ読む前に気づいたので、己のうぶみ感知力の高まりを感じた。

そしてここは単純に暴走する霊柩車が映像としてめちゃくちゃかっこいい! この世界において、この車は死ぬために生きる人を運ぶ車なんだなあって切なさのような気持ちを抱いた。あと竹一の「43秒フラットで!!!」の疾走感堪らん。ここだけでも映画館で見て手に汗握る価値がある。

生きている者の道が閉ざされた状態を表しているような寺の描写に対し、昭和111年で“道”をやっている人たちよ。彼らは100歳オーバーの人々で、鳥居の向こう側で神様気取りなんだよね。事実システム上の現人神なのだけど、そう思っていない人間もたくさんいるのに。パンフバレだけど、「自ら宗教を勘違いしていく」というのがものすごく納得と言うか、近未来というかどちらかというと現実世界の戦前感演出なのかな、と思った。『天地明察』や『光圀伝』でも垂加神道の話は出てくるけど、「日本人の宗教は暦」って発言する人のバランス感覚が冴えてる描写だと思う*4

もしかして「正しい宗教への回帰」とかもやろうとしていたのかなあ……と思い始める。あの世界自体、環境汚染と偽神という天岩戸に閉ざされた世界だとしたら、再生のヴィジョン=青い空=アマテラス、崩壊のヴィジョン=正雄=スサノオ、美子=イザナミかつアメノウヅメ、葉藏=イザナギかつアメノタヂカラオ。これは思いつきの与太の類。

 

うぶみその4:「死者が生者の道となる」人物編

「だれかが生きた世界を生きる」って美子の思いを継いだ葉藏という構図でストレートにやってて「らしい!大好き!!!」となりつつ、わたし個人としては悲しい気持ちになったよ。ふたりの最終的な望みは「ふたりで生きる=共に在ること」だったから……つくづく心中をさせない男だな、あなたは……。

正雄が「自分を見失うぞ」って葉藏に言ったのも、正雄自身の“虚無”が表れた言葉だと思う。いずれ葉藏が至りうる道への警告なんだろうな、これはどんな感情から発せられた言葉なんだろう。同情なのか期待なのか憐れみなのか。

 

括れなかったメモ

・作中対比される。赤=崩壊のヴィジョン、葉藏の心象? 自画像。青=再生のヴィジョン、ロスト体発生時の煙、美子の心象?

・何気に伏線うまーってなる。事故の翌朝、バーに正雄が来る→抗GRMP薬とか、葉藏が正雄を刺したナイフの行方とか。

・単純な萌えで、葉藏→美子の「なんでそんなに一生懸命なんだ」って聞き方がめっちゃよくないですか?

・葉藏の「ぼくたちはすべて間違った」の“すべて”ってなに? 心に生まれた黒いものと関係ある?

・正雄が「オルフェウス」って言い続けてるけど、葉藏に起きてる現象は「イザナギ」のほうがしっくりくると思っている*5

 

2019/12/15加筆:葉藏と正雄

正雄は結構ずっと葉藏の行く末を心配しているというか、自分と重ねて見ているよね。「望まぬ未来を引き寄せるぞ」とか、最後の医者としてS.H.E.L.L.創設に関わった己への後悔に端を発する助言にも見えてくる。だから「いずれ自分を見失うぞ」も助言のひとつなのかなあ。

まあそれに対して「俺はもう見失わない」って答えるのが、葉藏の生が定まった証なのだろう。葉藏は薬キメたりロスト体から人間に戻ったりするのに、竹一や美子の助けを必要としていた。失った自己を取り戻すのに、だれかの助けが必要だった。美子を喪ってロスト体になってからはずっと心を持ち続けているのも、それの強調なんだろうなあ。

 

2019/12/19追記:ヒイラギとナンテンとケシ

「作中対比される」は、人物像レベルで組み込まれているのではないか? 原案のWikipediaでヨシ子の項を読んでいるとき、そういえばなんで美子の苗字は”柊“なんだろう……と思ってヒイラギのWikipediaを読んだのがきっかけでのひらめき。全部Wikipedia知識の思いつきだから話半分でお願いします。

まずヒイラギについて、昔から生垣や玄翁の柄に利用されるなど人間の生活の関わりと深い。また生垣や庭木に使われる理由には邪鬼の侵入を防ぐと信じられてきたということもある。個人的に注目したいのは下記。

家の庭には表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)にナンテンの木を植えると良いとされている(鬼門除け)。

ヒイラギ - Wikipedia

物語序盤でロスト現象から世界を守っていたのは美子だったけど、最終的にその役目は葉藏が担うことになる。また、結果として美子自身がロスト体に力を与えてしまうのが鬼門から入ってくる鬼を連想させる。鬼の出口で待つナンテン、それが葉藏と解釈。

どちらの植物も実は赤いが、作中には青いケシが登場する。堀木正雄のモチーフとして。ケシって言うとどうしても麻薬を思い浮かべてしまうけど、花の形もうろ覚えなのでケシ目ケシ科メコノプシス属のどれかだと思うんですが、青いケシは調べてみると適法みたい。薬効もあるにはあるみたいだけど、産地の一般人からすると雑草扱いだそうな。だから正雄にケシのモチーフが使われている理由はよくわかりません!!! でも青であることには意味があるのかな〜。

 

まとめ

この映画めちゃくちゃ完成度が高いのに上映館数は少ないし上映期間は短いしで届くべき人のところに届いてないのがめちゃくちゃもったいないと思うんですけど東宝の営業殿はそこのところいかがお考えなんでしょうか!?(突然の悪口)

わたしはこんなにハマるはずじゃなかったのにこんなにハマってしまい戸惑っているんだ……だからひとりでも多くの人にこの映画を見てほしいという気持ちでいっぱいです。

「推しカプ萌えシチュ考察」「暴走する霊柩車」「オールバックメガネの櫻井孝宏のどれかにピンと来たら向いてる人間なので、場所も期間も限られているけど是非劇場で『HUMAN LOST 人間失格』を味わってください! わたしは嘘は言いませんからね!!!

 

 

 

*1:冲方丁冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』集英社インターナショナル、2016年

*2:伊藤計劃は『シュピーゲル』シリーズのラスボスのファンだったけど、完結を見ることなく夭逝しています

*3:冲方丁『オイレン・シュピーゲル弐』の登場人物が口にする台詞。この言葉に初めて出会ってから十数年忘れられない。

*4:あとやはり会津の人間だな……というか……わたしはそこが好きです。

*5:オルフェウスイザナギはどちらも死の国に嫁を迎えに行く神話