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宮田俊哉(Kis-My-Ft2)feat.一ノ瀬トキヤ(ST☆RISH)『Nemophila』における質感表現について

 二次元と三次元には絶対的な隔たりがある。しかし、私は近年のテクノロジーの発達は人間の認知に変化をもたらしたと考えている。本来時間の制約を受けないキャラクターが我々と同じ時間を過ごしているような感覚。キャラクターの筆跡などの痕跡から逆説的に再構築される彼らの身体。それらを「現実のもの」として提供する制作陣とそれを受け入れるファンの共犯関係。これらの働きにより、その境界はある程度曖昧なものとなるレベルに達している。

 2021年5月7日に発表された宮田俊哉Kis-My-Ft2)feat.一ノ瀬トキヤ(ST☆RISH)『Nemophila』では、三次元アイドル=宮田俊哉と二次元アイドル=一ノ瀬トキヤのコラボ楽曲でありMVである。今回注目したいのはMVにおける一ノ瀬トキヤの質感についてである。

 繰り返すようだが、宮田は三次元のアイドルだ。対して、一ノ瀬は二次元のアイドルである。宮田の完成された世界観に紛れる一ノ瀬は歌声においては完全に調和している。しかしMVに映り踊る姿は三次元の存在としては「異質な存在」に映る。

 私はそれが「あえて」行われた表現だと考えている。その根拠は『Nemophila』の歌詞だ。いまは遠くにいる大事な人を思うような言葉が綴られている。この歌詞は宮田と一ノ瀬の連名で作詞されたものである。二次元と三次元それぞれのアイドルが「遠くの誰か」を思って生み出した言葉たち。それは、二次元と三次元の隔たりをもどかしく思いながらも繋がりを諦められない心を表しているという印象を受けた。

 このような歌の表現の場合、一ノ瀬の質感は三次元に近づけるのではなく、二次元のアイドルという面を強調したほうが歌詞の意図に一致するのではないだろうか。

 二次元は三次元にはなれない。だが、二次元のままでも三次元に存在することはできる。今回発表されたMVは、二次元と三次元の融和表現としてとても貴重なものとなったと思う。いちファンとして、それに感謝して喜びたい。

 

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