情緒よりも主観。

うたプリやアニメや映画について、思ったことをいろいろ書くオタクブログです。

『ドリフェス!』はシビアだからこそ光明たりうる

なんだかよくわからないうちに『ドリフェス!』の感想ツイートがツリーを含めてめちゃくちゃ伸びていたので、いっそ長めに書こうと思い書きました。大体ツイートのまとめです。

 

きっかけ

推しジャンル布教をするのは好きだがされるには厄介なオタクです。なぜならだれかがハマっている作品には「だれかがハマっている作品」というフィルターをかけてしまい、個人としての作品への没入感が薄れてしまうため。

ドリフェス!』は信頼できるフォロワーが数名ハマっていたので興味はありつつも、やはりフィルターの影響減るまでは寝かせておきたくて、“死ぬまでに見るリスト”入りさせていました。

見ようかなあと思ったきっかけは後輩のツイートでした。「身の回りに『ドリフェス!』の話ができる人がいなくてさみしい」……ジャンルは違ってもその気持ちがわからないオタクはいない。

単なる「ご飯食べながら見れるテンションのアニメ見たい」という欲求にわずかな使命感がかみ合わさり、『ドリフェス!』を見るに至ります。

 

ドリフェス!』という光を支えるもの

最初どころか最終盤の直前まで、わたしの感性にドンピシャではなかった。数多のエピソードに「えっ、ここ掘り下げないんだ?」と感じていたからです。伏線回収や感情のぶつけ合いが好きなオタクには、奏くんと純哉くんのライバル感情は拗れないし、慎と圭吾も普通に仲直りするような、拍子抜けするくらい「シリアスを引きずらない」ことが理解できなかった。他にも千弦と唯弦の遺恨、樹の進路、勇人とリョウの再会など、シリアスをやる気になればいくらでもやれる材料はそろっている。

ここまで背景を整えた上で描かないなら、それらのエピソードによって間接的に強調される仲間との絆“そのもの”は主題ではない、ということにはっきりと気付いたのはR9話を見終えてからでした。

では『ドリフェス!』のテーマとはなにか。わたしは「ファンとの向き合い方」、もっと言えば「ファンと向き合うための努力とはなにか」だと思いました。奏くんの怪我のエピソードでは特にはっきり描かれていたと思います。

周囲は奏のためにもファンのためにも「無理はしてほしくない」と説く。三貴士に託されたステージであること、Dear Dreamがステージに立てないこと、それで悲しむファンがいること。全部をわかっている奏くんは、「みんなに絶対迷惑かけないから」と言ってステージに立ちたい意思を訴える。

最終的に純哉くんが下した決断が、わたしは『ドリフェス!』という物語のひとつのアンサーだと思うんですね。Dear Dreamが目指した「ファンのエールに応える」「メンバーに甘えるのではなく、自立した上で助け合う」というのを、奏くんをステージに上げ、ファンのことも喜ばせることで示そうとした。

特に好きなのがこの後なんですよ。「まだ泣くな。解決したわけじゃない」というニュアンスの純哉くんのセリフ、めちゃくちゃシビアじゃん? だけどこれが『ドリフェス!』なんでしょうね。「がんばります!」って言うことは努力ではないんだよ、当たり前だけど。具体的な形を伴わなければなにもしてないことと同じ。このときの奏くんに罪悪感を持つなと言うほうが無理なんだけど、反省という感情があるからといって怠惰が許されるわけではないんだよ。だれかの失敗や挫折は、当たり前に起きることだからだれも責めない。でも、感情を結果の言い訳にすることだけは絶対に許さないのが『ドリフェス!』なんだと思った。

社長の「どれだけ努力したかなんてファンには関係ない」というの、社会のあらゆる場面でその通りなんだよ。結局、ファンが見るのは積み重ねられた1番上の成果なのだから。そこに続くのが「だからこそ気の済むまでやりなさい」だったことにとても感動してしまった。努力は結果への納得に結びつくからね。

「意思があるならなにがなんでもやり遂げろ」という王道のテーマに、「その手段が精神論だったらはっ倒すぞ」という具体的な実現性についての問いをぶつけるシビアさよ! だからこそ、『ドリフェス!』は光のアニメなんだと思います。失敗を悔やみ足を止めるのではなく、よりよい次を目指して具体的に行動し続けてきたDear DreamとKUROFUNEだから、ALL FOR SMILE!が胸を打つ……。

 

ありとあらゆるファンのための物語

三神の「楽しめ。お前を見て元気になりたいファンもいるんだから、お前が元気でいなきゃだめだ」みたいなセリフもかなり好きです。『ドリフェス!』のファンじゃなくても、響く言葉だと思います。

ドリフェス!』ではファンの役割が「アイドルを応援するみんな」というところに固定されているので、次元を問わずアイドルを推したことがある人間には嬉しい話がとても多い。奏くんが「俺にとってはファンのみんながアイドルです!」って言ってくれたの、とても嬉しかったな。

ドリフェス!』のこと見てよかったな~と心の底から思います! 残念ながらまだ5次元を体験していないので、機会があればぜひそちらにも触れてみたいと思います。

「ST☆RISH SECRET PARTY!」はわたしたちの「会いたい」を叶えてくれた

※この記事はCG STAR LIVE「ST☆RISH SECRET PARTY!」4/6トキヤ進行回のレポです。あらゆるネタバレを含みますのでご注意ください。

 

ST☆RISHは最高にかっこよくて最高に愛しいアイドル

トップページのコピー通りだった……ST☆RISHに会えてしまった~!

開演前から席の近さに驚いた。認知されてしまう(杞憂)

トキヤ進行回に行ったので、当たり前ですが最初から最後までトキヤが仕切ります。

前ナレ開口一番が「一ノ瀬トキヤです」だったので笑ってしまった。そう、あなたは一ノ瀬トキヤです。トキヤの楽しそうな様子が声からわかった。わたしも嬉しい。

スタートはマジLOVEレジェンドスターでした。みんなかっこいい~~~! ダンスついたんですけど、曲の雰囲気変わりますね。かわいい振りがあったんですが、どこだったか忘れてしまいました。かわいいで塗りつぶされた。

1曲終わって自己紹介。音也の「ねえ俺からやっていい?」に対するトキヤの答えが「ええ、もちろん」っていうのがW1オタをころしにきていましたね。次がセシルちゃんで、「みんなとひとつに繋がっているのを感じたいので、ワタシが名乗ったら名前を呼んでください」って言ったのかわいかった。なっちゃん楽しそうでこっちも嬉しい。レンくんがセクシーアピールしたときに、隣にいた聖川と翔ちゃんが顔見合わせていたのがおもしろかったです。そしてそれに動じることなく自己紹介する聖川真斗。翔ちゃんは気遣いの鬼。

「俺ライブ楽しみで寝られなかった!」「ワタシもです!」という音也とセシルちゃんに二重にギャー! というかセシルちゃんの挙手が本当にかわいい。

そのままトークコーナーへ。トキヤへの「教えてSECRET LOVE」と「教えてSECRET QUESTION」の選択を迫られる我々。どちらもという慈悲はないのか。今回はQUESTIONのほうになりました(LOVEも聞きたかった!)

質問は「トキヤがオフの日にメンバーとしたいこと」で、その質問を投げたのはセシルちゃん。というかセシルちゃんと家電見に行くくらい仲いいのか! 店員より家電に詳しい一ノ瀬トキヤ、ア○トーク家電芸人回のゲストに登場すべきでは? トキヤ先生のスマホ教室が盛況でなによりだよ。

メンバーそれぞれとしたいことを答えていくトキヤ。セシルちゃんとはおにぎりパーティ、なっちゃんとはスケッチ、レンくんとは温泉旅行、翔ちゃんとはサッカー観戦、聖川のだけド忘れした……舞台だったかな……。

4/9追記:なっちゃんか聖川のときに、「行きたい展覧会があるんです」って言ってました。わたしもだけどやっぱりみんな一ノ瀬画伯に期待してるんだよな。会場が笑いに包まれた。

音也に「俺とはなにする?」って訊かれて「あなたとは趣味が違いすぎるので(笑)」ってトキヤが答えたときに、音也がシュン……ってしたの本当にかわいかったんですよ! そのあとトキヤはちゃんと「ロードバイクのこと教えてください」って言うんだけど、音也の喜び方がかわいい。やはりW1はファンをころしにきている。

翔ちゃんとセシルちゃんだったかな? 「でもそれはトキヤがやりたいことじゃないのでは?」って言われて、「だれかを楽しませることが好きなことなので」って答えが出るから、トキヤの天職はアイドルなんだよなあ……としみじみとした。

4/9追記:「トキヤ! いっぱい遊ぶ約束ができましたね!」って言ってたセシルちゃん、本当にかわいかったですね。

そのあとはライブコーナー。Shining☆Romanceもフルダンス見るのは初めてだ! MV用の振りあるんだねえ。2000%→マジレボは接触パートでキャッとなってしまう。

ラストトークのあとに、WE ARE ST☆RISH!!で締め。ここでめちゃくちゃ泣いてしまったのでかっこよかったことしか覚えていない……。

アンコールは1000%! 間奏が撮影コーナーでした。

4/8追記:ラストではけるとき、MCだったからかトキヤが最後だったんだけど、音也が引っ込みかけてまた戻ってきてトキヤと絡んでいったのとってもかわいかった。

4/9追記:後ナレのトキヤ、かなり独占欲強めなセリフを言っていた……ファンなのでキレた(ありがとう)ファンに対して心からこれなので、彼女とは一体どれだけのイチャをやっているんだ……。

 

撮影コーナーでの様子

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圧倒的シンメ力を見せつけるW1。御曹司の距離感もポイント。


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場所移動で聖川の肩を抱くトキヤ。


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激かわ愛島兄弟。


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からの
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圧倒的シンメアピール。


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「あと10秒だよ〜!」って言ってからカウントダウンしてくれた。いち!

 

ライブのまとめ

原作やアニメやドラマCDやプリライや舞台やシャニライだけではフォローしきれないST☆RISHの姿が見られたのがとても大きかったです。MCとかね、メインで喋ってない子たちがなにしてるのかってあんまりわからないからね。ファンに手振ったり、メンバーで顔見合わせたりね、かわいかった。

小さい箱でライブやることのほうがないから、近い距離感も新鮮でした。「近いからこそ遠い」というファン心理も楽しめるなんて最高じゃないですか……!

機会があったらまた行きたい、そんな素敵なライブでした。6月の東京ドーム公演も楽しみです!


おまけ:テクノロジーと身体

わたしは『うたの☆プリンスさまっ♪』のメタフィクションやキャラクターの身体についての卒業論文を書いて卒業したオタクです。「『プリンスの身体はプリンスのものであり、生身の人間が代替できるものではない』という公式が提示した前提にファンが乗ることで成り立つ“ごっこ遊び”が本質」という解釈でうたプリを楽しんでいます。だからこそ、キャストの方々が各々考えているプリンスとの付き合い方や、劇団シャイニングの二代目さんたちのあり方も大変好ましく思っています。

「たかだか生身なくらいで調子に乗るな」という捻くれたオタクにとって、“生身”のプリンスに会うというのは果てしない夢……だったはずなのですが、ついにそれが叶ってしまった……! それこそがCG STAR LIVE「ST☆RISH SECRET PARTY!」

要するにわたしはプリンスの実在を信じたいんですね。この世界においては生身の身体が実在を保証するとして、プリンスの生身の身体は二次元にしかない。普通なら二次元の身体は実在ではないで終わるところを、『うたの☆プリンスさまっ♪』は二次元の身体を三次元に持ち上げるために、様々な痕跡を見せてそれを集約させて三次元的な身体を構築してきたわけです。

CG STAR LIVEはその過程をすべてテクノロジーですっ飛ばしていきました。「あるものはある! ここにあるから! いるものはいる! ここにいるから!」という技術による力強い身体は、公式とファンが『ごっこ遊び』のために共有する前提をかなり強固にしたと思います。

生身の身体があるだけはなく、「ST☆RISHがファンを見ている」というのも、かなり感じられました。MCのペンライトを使うコーナーでトキヤが色に反応したり、話していないメンバーが客席にファンサービスしたりと、ファンがST☆RISHを見るのと同じくらい、彼らもこちらを見ている。視線の双方向性については勉強不足なのでこれ以上詳しいことは言えないのですが、存在の要素として挙げられそうです。

この話はもう少し詰めて次のプリコンで本出そうかなあと思ってます。

ちなみに第1弾はこちら。

【COMICCITYSPARK13】「10/7 COMIC CITY SPARK 13 新刊」/「ぴょん」のイラスト [pixiv]

自家通販対応いたしますので、興味ある方はTwitter等からお声がけください。

 

以上、ST☆RISH最高〜! うたプリ最高〜! ブログでした。

法月仁と氷室聖はわかり合えないからこそ仲直りしてほしい

スッスッス第2章まで見た仁聖ヒロの法月兄弟ファンのみなさん! 新情報でパンクしそうになりませんでしたか!? わたしはなったので2連続鑑賞をキメてしまいました。いやあ、スッスッス、すごいですねえ。

速水ヒロ最推しオタク、かつ、法月仁を推し認定はしていないけど無限に法月仁の話ができるオタク、かつ、CV関俊彦に逆らえないので氷室聖をゴリゴリに弁護するオタクは、ふせったーすら面倒になったので、タイトルに書いた通りのブログ書きます。RLからすすす2章までで推測できること・思ったことの話です。

 

法月仁は『大人になった“愛を知らない子ども”』

あんまり言い切りは好きじゃないんですけど、各所で見たプリズム裏設定がスッスッス5話で確定した以上、こう言っても怒られないと思ったので言います。(スッスッス以前の仁に対する解釈は以前単独でブログ上げたので、そちらをお読みくださればわかるはず。ゆえに割愛します)

わたしの法月仁サビ「仁の世界には仁しかいない」の、仁に付属する人間がついに現れました。母親の法月愛です。裏設定的にもその対象は親だろうとは思ってたんですけど、まさか仁が「お母様のご期待に添えるよう」という直球ぶちかますとは流石に思ってなかったんですよね。 母親もういないと思ってたし。

愛の態度、衝撃的でしたね。仁がなにを言っても「お前の好きにしなさい」としか言っていなかった。下手したら仁に興味ないまである(この辺りはまだわからないけど……)

仮に愛が仁に興味がないとして、それはいつごろからなのかという話は、聖とヒロの会話や、仁の回想から推測しやすいですよね。聖がプリズムショーを始めた頃からです。エーデルローズ旧校舎のリンクで、若い仁の隣に立つ愛が見惚れていた相手も、同様に聖でしょう。

このときの仁の心境たるや。「仁は母親の影響が強いゆえに『愛情は格があるものに注がれる』という価値観を持つ」という話が真ならば、さぞや危機感を覚えたことでしょう。母親の愛情が、母の実子ではない弟に注がれてしまうのではと。

もし仁の子供としたの危機感よりも、兄としての責任感が上回っていれば、こんなことにはなっていないでしょう。しかしだ。

アナと雪の女王』『東京トガリ』などで話題の「長子に対する抑圧」みたいな話を思うと、仁が聖に当たってしまうのも間違いではないんですよ。仁は兄である前に子どもだし、子どもである以上に人間なので。

話を戻しましょう。おそらくその頃から、仁の目的は母親からの愛情を取り戻すことになったのではないでしょうか。『格のある人間』になるのはその手段です。そんな生活をおそらく9年以上続けています。条件付きの愛情しか与えられなかった子どもが、社会的には大人になるには十分な時間です。

 

法月仁も氷室聖もお互いを理解できない

良し悪しは別にして、ふたりは生育環境や価値観などが違います。仲が拗れているのとはまた別に、元々相互理解がかなり難しい人間同士だったと言えるでしょう。

聖の長所であり短所、「だれかを信じることができる」というのはこれに起因しています。仁とは逆に、彼の世界には尊重すべき他人が大勢いますが、それは聖がプリズムショーにおいては無力な存在であり、彼自身がそれを知っているからです。これは自分がやりたくてもできないことを、だれかに託すことができるところにも繋がっています。「弟子たちに兄弟喧嘩の代理戦争をやらせる」のは両者同じですが、自分の代わりにと頭を下げることができる聖と、教え子の成果をさも自分の実績のように誇る仁はスタンスが異なっていることはキンプラで描写されている通りかと思います。

全然違う人間同士だからこそ、聖はエーデルローズとシュワルツローズの対立の原因を「プリズムショーに端を発した自分と仁の個人的な問題」ということをはっきりと認識することができても、『仁がどうして自分を憎むのか』という原因の部分は、例え仁の口から本当の理由を聞いたとしても理解できないでしょう。

聖は現在の仁を「昔の優しかったころから変わってしまった」と受け止めきれていないというのも、仁を理解するところから遠ざかっているように見えます。

 

和解の道はないのか?

こんなふたりが和解に至るまでのハードルはめちゃくちゃ大きい上に2つある。まず、仁自身が“法月仁”を受け入れなくちゃいけない。条件付きでしか愛されず、愛されるために血の滲むような努力をして成果を得ても本質的に報われない、どこまでも自分本位で他人を傷つけられる己を丸ごと受け止めることが、失敗=死という価値観の人間になんの土台もなくできるとは思えない。

では仁の土台を作るところから始めようとすると、以前書いたブログの通り厳しいのでは? という話になる。

しかし、わたしは仁と聖の和解を諦めたくない。『全然違う人間同士が、理解し合えないが尊重し合えるようになる』までを丁寧に描き続けてきたプリティーリズムなら、きっとふたりに和解のきっかけを与えてくれるんじゃないかと思うんですよ……!

これは妄想なんですけど、仁が聖的、あるいはヒロ的なプリズムの煌めきに対して、危機感以外に憧れや羨望を抱いていたとしたら……自分にはこんな煌めきはないと諦めており、その結果がいまで、無意識的に現在の自分を自分さえも許さないのだとしたら、現在の仁を格抜きで認めてくれる人間として、ジョージはかなり効くんじゃないかと思います。

スッスッス5話で、ジョージが憧れているスタァが仁であることが明らかになりました。スッスッスの前までは媚び売りだけだと思っていたんですけど、ジョージは仁自身さえもそう思っているかもしれない負の一面を心の底から尊敬しているんですよ。ただそれが媚び売りの方向でしか表明されていないのが困りどころなんだけど!

マジで法月兄弟、仲直りしてくれ〜!

 

最後に言いたい願望

仁と聖が、すべてが終わったあとに、エーデルローズの旧校舎でプリズムショーをして、ふたりのその姿を愛が見てくれたら、わたしは本当に最高の気持ちになれると思う。

「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」について

そもそも「プリズムの煌めき」ってなんだよ!?

というところから唐突に始まった「プリズムの煌めき」についての考察です。対象はレインボーライブ(RL)とKING OF PRISM(キンプリ)に絞りますが、応用自体はオーロラドリームやディアマイフューチャーにもできるように心がけたつもりです。スッスッス第4章の前にやっておかなきゃだめだと思ったのでやります、いまから! どうぞ!

 

※RLとかキンプリとかキンプラのネタバレめちゃくちゃしてるので気をつけてね。

 

ニュートンのプリズム実験

プリズムのこと漠然と虹を作れる三角柱だと思っていたので、改めて調べました。Canonの子供向けページが非常にわかりやすかったのでそこでまとまってる内容から広げたいと思います。

彼は、実家の窓の扉に小さな穴をあけて、太陽の光を暗い部屋に入れ、プリズムに当てました。すると、白い色をしていた太陽の光は、虹のように赤色から紫色の七つの色に分かれてプリズムから出てきました。

これらの色をレンズとプリズムを使って集めると、ふたたび白い色に戻ります。こうしてニュートンは、「太陽の白い色の光は、すべての色の光が混ざったもの」であること、そして「色によって屈折する角度がちがう」ことを、確かめました。

アイザック・ニュートン|キヤノンサイエンスラボ・キッズ

これに基づいて、当記事では物理的な「プリズムの煌めき」を「太陽光の分散によって発生した光」ということにします。「虹」と言い換えてもいいかもね。

 

プリティーリズム・レインボーライブ』は「虹」の物語

RLはキーワードとして「7つの虹」「セブンスコーデ」、主要キャラクターも実質7名の女の子です。そもそもタイトルに「虹」ついてるし。ここは疑いようがないと思います。では、なにをもって「プリズムの煌めき」とするか。これは彼女たちひとりひとりが悩み抜いて答えを掴むまでの軌跡そのもののことだと思います。

RLでは男子プリズムスタァによりフォーカスが当たりました。そう、みんな大好きOver the Rainbowです。「虹」の物語で『「虹」の先を超えていく』ユニットが生まれるわけです。

 

「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」

通称キンプリ・通称キンプラでは、先述のオバレにエーデルローズのスタァ候補生7名、敵対勢力シュワルツローズの候補生たちを加え、男子プリズムショー界のトップ「プリズムキング」を目指した戦いが展開されます。

その過程で、「プリズムの煌めき」とは異なる光の概念が登場します。それが「太陽の輝き」です。「太陽の輝き」でイメージするのは、マイソングやプリズムジャンプが直球で太陽モチーフの一条シン、そして、彼の前世の姿として示唆されたシャイン。シャインについては「プリズムの使者でありながら表舞台に立つ」という特大の禁忌に抵触した上「すべての人を魅了しかけ」「世界を滅ぼしかけた」ことがりんね、及び如月ルヰによって示されています。シンにも似たような力があり、シンのプリズムショーを見た者は彼に魅了されてしまうようです(出典明記できないけど監督証言あり)

「太陽の輝き」を持つ者が「魅了の力」を持ち、魅了された人々の世界が滅ぶのならば、RLで描かれた世界を救った「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」は対をなす概念だと考えられます。ルヰがシンを刺した際、「虹」が「太陽」に吸い込まれていく描写がありましたが、無関係な描写ではないと思います。

 

プリズムキング=「太陽の輝き」?

「太陽の輝き」を語るためのもうひとりの人物が、プリズムキングを勝ち取ったの速水ヒロです。ヒロは3連続ジャンプ「銀河ブレイクショット伝説 絶対王者パックス・ヒローナ」において、自身を中心として太陽系を再編し、4連続ジャンプ「王位戴冠 THE KING OF  PRISM」でこう宣言します。

「朕はプリズムショーなり!」

KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』速水ヒロ

これはフランス国王ルイ14世の言葉もしくはそうとされる創作セリフが元ネタですが、ルイ14世の通称は「太陽王」なんですよね。しかし、ヒロは自身の「プリズムの煌めき」をもってコウジ・カヅキ・べるを具現化させています。ニュートンが証明している通り、「虹」は集約すると「太陽の輝き」になるので、ヒロと「太陽の輝き」は直結せず、ヒロの「プリズムの煌めき」の粋が「太陽の輝き」に匹敵したというだけだと思います。ただし、物語的にはヒロのプリズムショーは「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」の分化を難しくしてしまったという功罪が認められるかもしれません。

 

法月仁と如月ルヰ

仁が「プリズムキング」という概念そのものを否定し、新たに「プリズムワン」という概念をぶち上げたのがスッスッスの始まりです。仁の幸せを願ってるオタク視点では完全に見落としていたんですけど、プリズムの使者視点だと話が違うんですよね。

プリズムキングが「太陽の輝き」に近づきすぎてしまったのなら、「プリズムの煌めき」を伝道するに相応しい人物を別のルートで選ぶ必要がある…….仁の行動は、プリズムの使者としての如月ルヰ」の思惑に沿うものになる。監督が「ルヰは考えがあって仁のそばにいる」って言ってたんですけど、合ってるならこういうことなんじゃないかな……ただし、彼がプリズムの使者としての役目を放棄していなければ。ルヰのフェザーがナイトドリームフェザーになっていることを踏まえると、その線が強い。

 

「プリズムの煌めき」と「太陽の輝き」

ここでプリリズ記事のご紹介です。

どこまでも「自分は自分以外の何者にもなれない」ことを徹底して描くプリティーリズムにおいて、どれほど苦しむことになろうとも自分の人生に向き合った軌跡、則ち「プリズムの煌めき」は作中是であります。しかし、それと相反する概念である「太陽の輝き」に魅せられることそのものは決して否定しないのもプリティーリズムの素敵なところです。例を挙げるなら、母の笑顔を見たかったべる、三強に憧れたヒロ・カヅキ……。彼らは彼らだけのやり方で「太陽の輝き」に区切りをつけ、彼ら自身が持つ「プリズムの煌めき」もってプリズムショーを作り上げていくことになります。そしてそれこそが他者にとっての「太陽の輝き」となる……このふたつは、相反するかもしれないけど、循環することができる概念である、というのを結論にしたいと思います。

『彼が愛したケーキ職人』で家族について考える

ざっくりあらすじ

ベルリンでカフェを営む青年トーマスが、仕事でイスラエルからやってきたオーレンという男性と恋人関係になる。オーレンには妻子がいるけれど、ふたりは逢瀬を重ねていく。今回もオーレンは「また1ヶ月後に」と言い残してエルサレムに帰っていくが、それを境に消息を絶ってしまう。トーマスはオーレンが亡くなったことを知り、彼の家族に会いにいく。

……あとは公式ホームページを見ろ!!!

映画「彼が愛したケーキ職人」公式サイト

 

家族ってなんだろう

オーレンはトーマスとの逢瀬の最中に「家族はいいぞ」と言ったのに、その後妻のアナトに「俺は家族を捨ててベルリンに住む」って言ったのが全然繋がってくれなかった! でもついさっき繋がった! オーレンはトーマスの家族になろうとしたんだ!

トーマスは、父は蒸発、母は早逝、育ててくれた祖母も2年前に他界という天涯孤独の青年でした。オーレンが家族の良さを説いても「自分には無理だ」と諦めているような口ぶり。オーレンがアナトとイタイを捨てようとしたのは、そんな彼の家族になるため。トーマスはアナトからオーレンの死の真相を聞かされたときにそれに気づいたんだろうなあ……だから泣きそうになったのを堪えたのだろうね。

これはトーマスからすれば叶わなかったけど嬉しいことなのだが、捨てられるアナトのほうは堪ったものじゃない。カミングアウトはオーレンにとっては新たな家族の元に向かうためのケジメだけど、彼女からすれば家族を捨てて出ていく夫という形になる。

ひとりの人間が「家族になる」ことを選んだら、結果として「家族を捨てる」ことになった。血の繋がった家族と言っても、人間と人間が寄り添い合って生きているに過ぎない。その繋がりを持つことにも断つことにも責任が生まれる。家族は最も身近な社会共同体と言うが、それを実感できる作品でした。

 

おまけ

君の名前で僕を呼んで』にも見られた恋人と同一化したがる描写、防衛機制以外の理由が読み取りきれないので他の意見があったら知りたいな。

セルフ振り返り『蒼穹のファフナー』第1話〜第6話

昨年末の総士生誕祭、先日のHAE4DX、ごく最近のフォロワーのファフナー視聴に乗るっきゃねえ! とばかりに1期を見直すことにしました。

EXO終わってからこの間4DX見るまでどのファフナーも見ていなかったので、話の大筋は全て把握しているが細かいポイントはうろ覚え、という状況からの再視聴。まあおもしろいことは知ってるしな……作業の片手間に……と思ったのが大間違い。このアニメおもしろすぎる……!

つい最近書いた通り、わたしはファフナーの語り直しによる再解釈におもしろみを感じています。

元々おもしろかった1期ですが、EXO後に改めて見るとこんなにも輝くとは……!

折角なので数話単位で振り返りやろうと思います。HAE〜EXOの彼らを知るからこそ改めて気づくことができた部分について言及するつもりです。1期・ROL・HAE・EXOの核心にガツガツ触れたり、小説版・ドラマCDなどいわゆる本編外の話をしたりするので、シリーズ全部見るつもりかつネタバレNGの方は全部見ていただいて、それから改めて読んでいただけましたら幸いです。

※ちなみに話数区切らずにだらだら書くからきっと読みづらいけど許してほしい。

 

わたしは総士が最初から一騎のことを信頼していたことに気づかなかったんですけど、今回見直してやっと気付いたんですよ!(節穴) 「お前本当に12年ファフナー好きだったのか?」って言われたら「見えてたものが違うので……」と答えるしかない。

双方左目事件の解釈に齟齬があるので深刻なア…ジャッシュが始まってしまったわけですね。総士は一騎に左目を傷つけられたことが自我の確立の契機になったので感謝の気持ちがあるけれど、一騎はその件には罪悪感しかないし総士の真意は知らないから後のダイナミック家出につながるわけで。

そういうのも込みで見る皆城総士はとにかくかわいいやつですね。「いや、できる!」に「僕はお前を信じているぞ」を詰め込んでしまったり、「僕を、信じろ」に同意してもらえたからって自分の気持ちがちゃんと理解してもらえたと思ったり、なんなら元々信頼されていると思っていたまであるのか。

第5話で総士がひとり山に来たのが、彼なりの歩み寄りだったことに気づいたのもさっきだよ! 真矢曰く「そんなに一騎くんの心に入り込みたいの?」というセリフが、真矢の尋常ならざる洞察力がもたらしたことだし、事実というのはわかっていても、ピンとは来ていなかったんだ。一騎が自分と同じように自分のことを信じてはいないことがわかってきたから、理解するために一騎の行為をトレースするというのは、総士の不器用さが表れていていい。

第6話の「黙っていてください」「大人に命令するな!」もいまならわかる。保=大人は子供を守りたい、でも人より早く子供ではいられなくなった総士という存在は、島を守る使命を背負う人間は全員対等と見なしている。総士の責任感が見えるシーンなんだなあ。

 

一騎はシリーズを追うごとに当然成長しているのだが、1期のころから根幹は変わっていないんですね。象徴的なのは第4話の「助けることは、悪いことなのか!?」だと思います。一騎にとって利他は至極当たり前のことなので、通学中の翔子を助けるし、山登り中の真矢を助ける。その他色々。左目事件で損なわれたのでも培われたのでもない、元々一騎が持つ美点こそが他者への優しさなんだなあ。そりゃ、モテますね……。この優しさのスケール感がシリーズを下るごとに巨大化していくせいで、わたしは随分振り回されているよ。

 

改めて真矢が一騎絡みで総士に当たりが強い理由を言語化すると、「一騎くんは皆城くんの気持ちがわからなくて不安がっているのに、皆城くんはなんで伝えてあげないの?」なんでしょうね。小説版で言及されたように、真矢は左目事件を一騎から聞いて知っているはずだし、『NO WHERE』や第5話や第10話のやりとりからすると、総士の真意も勘付いているかもしれないし。第1話を見るに一騎抜きの総士と真矢は至って普通の同級生なの泣けますね……。

というか第5話があまりのラブコメ回だったので大感謝である。

このように"対話による相互理解"を促す役割を持っていた真矢を、EXOで"対話の果てに理解し合えない人類を手にかける"、"その上で対話によって人類同士の争いを止める"ところに持っていった制作は天才だと思うが、容赦しろ、本当に……。

 

誰かが言っていた「みんながEXOでやっと辿り着いたところに初手で辿り着いたのが翔子」というのを確認したくて見直しているところもある。彼女の行動は「島のためじゃないわ! 一騎くんのためよ!」に集約される。翔子にとって"一騎のため"は自分のため。島のために生きて島のために死ぬ人間が大半を占める中で見せるエゴ。そんな翔子の意思を汲み取るのが、島のためにいちばん身を粉にして働く総士という。立場や状況は違えど、「なんで生きているんだ」「なんで生まれてきたんだ」「いなくなってしまいたい」ということを考えたことがあるふたりだと思うと、もっと総士と翔子のやり取りを見てみたかったという気持ちになります。

第7話で咲良が「戦って満足して死んだんだよ」って言うのに対して、いままでは違うよ! と思っていたのですが、案外その通りというか、ファフナー論法"使命を果たす"的に正しいことを言っているんだな。EXODUSで掲げられた「いまここにいる理由」に、「あなたはそこにいますか?」を問われる1期の時点で辿り着いた翔子のあり方そのものは、作中でもっとも正道にあった。

 

……とりあえずざっくり第6話まで! 次は一騎が家出するか、一騎が家出から帰ってきたら書く予定です。

原作信者として観る映画『十二人の死にたい子供たち』

原作信者だから観てきたよ! わりと実写化向けだと思ってたから映画化は嬉しかったです。

劇場行くまで若者向けだと思ってなかったので、場内の平均年齢が若くて少し焦る。よく考えたら主題はいつも通り全人類向けでも、キャラクターやキャストの年齢層的にティーン向けになるのか。勉強になる。

先にまとめを言うと、映画単体としての完成度は非常に高いです。若手俳優さんたちが同世代で切磋琢磨してできた映画なんだろうなあ。ケンイチの絶妙なウザさや、メイコのヤバさ、アンリの真剣な危うさは実写で表現されるとパンチが強くてなかなかクるものがありました……。ちゃんとミステリやった上で主題も丁寧に描いていただいて、原作信者的には大成功だと思います。橋本環奈さん眺めにいくだけでもおすすめ。

 

ここまでが前置きですね!

ここからは映画単体として☆5、原作信者的に☆3という評価を下した原作信者が「原作とここが違う!!!」と叫ぶ流れになるので、鑑賞済み原作未読は原作読んでから読んでね。

 

原作読んだのは随分前でうろ覚えだったので、観ながら思い出してました。シナリオの大筋は変わっていないので満足して見終われたのだけど、キャラクターの性格とバックボーンの相違点が少し気になってしまった……のでそれを書く。

 

シンジロウ

メインビジュアルぱっと見た感じシンジロウがいなかったので「大丈夫か!?」と思ったんですけど、ちゃんと回収されたので安心した。……のだが、見た目から発せられる"療養期間が長くあまり人と関わることがない"感に戸惑った。彼の魅力は頭がいい上に人好きのするところだと思っているので……。その要素は映画にするにあたってとか尺とかの都合で真っ先に削られるところだろうし、頭の良さだけで人望を得るのも理解できるんですけどね。でもな〜天然タラシで協力者を増やしていくシンジロウを実写で見たかったというのは非常にある……なぜならわたしは冲方丁が書く天然タラシ男が大好きだからだ……。

ちなみに原作シンジロウは将陵僚だけど映画シンジロウは皆城総士です。何度でも言うけど本当なので確認してほしい。あってると思う。

 

アンリ

バックボーンに修正が入ったけど、尺以外の理由があるなら教えてほしい。本当に。「生まれてこなければよかった!」の理由が弟の生に対する疑問というのは、彼女自身の経験に裏打ちされた動機として十分だろうけど、その経験が彼女が持つ思想とは背反するような恐るべきバイタリティに結びつきにくくなるように思った。アンチテーゼを背負うアンリのことは手を抜かずにいじめてほしかったですね……。

最後の採決でメイコを見つめる笑顔はすごくよかったです。杉咲花さん、得体の知れない役が似合うね。あと嫌煙エピソードちゃんと伏線だったのは評価できる。薬に詳しいのは? というのもありますが……。

アンリは生まれる恐怖を克服できなかった乙姫ちゃんという読みをしていた。ちなみにサトシがアンリに唯一共感できる人間というとてもよい設定があります。

 

以上です。原作信者だからくだは巻くけど、映画単体でできがいいのは本当なのでおすすめだよ! 明日にでも見に行ってくれよな!

原作も買ってくれよな!

 

十二人の死にたい子どもたち (文春文庫)

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