情緒よりも主観。

うたプリやアニメや映画について、思ったことをいろいろ書くオタクブログです。

暴走する霊柩車を見たくはないか? 『HUMAN LOST 人間失格』で見れます!

この映画の存在を知ったのは、確かFashionPressだかのツイートだったと思う。「脚本:冲方丁、主演:宮野真守」って書いてあったら、わたしのための映画か!?観るわ!!!となるのも致し方なかろう?

それをきっかけに公式Twitterをフォローして動向を見守りつつ、微妙に機会を逃して結局初見が12/3の夜の回(一応初週)。結果「マジでわたしのための映画か?」となって2019年12月14日現在2回観た(2回しか観れてないとも言う)。ちなみに15日に3回目を観るつもりです。

だってめっちゃよかったんだよ~~~!!!

全力全開のうぶみ、それをガンガン高めてくれるポリゴン・ピクチュアズのCG、主人公の“存在”でも“虚無”でもない雰囲気を的確に表すマモの演技……その他諸々、好みの要素が詰まりすぎていた。感想と言うにはまとまりがなさすぎるので、繋がりがある風のメモという形にしようと思いました。

正直原典はうろ覚えだし……要領いいつもりで生きてきた主人公が、同級生にそれを見抜かれて動揺するところ、嫁を寝取られることしか覚えてない。……ので、「この映画が太宰治人間失格』である意味」みたいな話は当然ムリです。そこはパンフレットとか有識者にお任せします。

下にずらっと書き出してみたら思った以上に「冲方丁~~~今回も最高~~~!」って話をしている。それではどうぞ。

2019/12/15:宣言通り3回目を見てきたのでちょろっと加筆しました。

2019/12/19:思いつきがあるので加筆しました。

 

 

うぶみその1:存在、虚無、その狭間の人間の三角形

冲方丁のいつものヤツ!でまとめていいかな?

大庭葉藏、柊美子、堀木正雄の三角形の話をするのは難しい。この作品ではたぶん美子=存在、正雄=虚無、葉藏=その狭間の人間だろうけど。

ラストバトルで寝取りの構図をなぞったのはそーくる!?って驚きつつも、その果てでの葉藏の選択が痛みと向き合うこと=存在を選んだのは「らしい」なあ……と安心感を覚えました。

 

うぶみその2:存在することの痛み

蒼穹のファフナー』1期26話にて皆城総士が叫ぶ言葉通り、現実世界には生きてるだけで味わう痛みや苦しみがあるわけですが、本作はS.H.E.L.L.に心身の健全さを“管理された”世界なのでそれがない。だから暴走族が「簡単には死なないから」と無茶苦茶な走り=自傷行為によって生の実感を得ている。そのトップを務める竹一が言う通りそれは「俺は俺を取り戻す」手段だからなんですよね。

結局存在と痛みは不可分。最終的に、葉藏も一生続く割腹自殺=身体的外傷、一生続く美子殺し=心理的外傷を背負っている。

 

閑話休題みゆきちマダム

みゆきちマダムがいちいち真理だと感じました。押しつけがましくなく自分の気持ちを吐露しているの大人だ~~~って単純に好きのきもちもあります。

言い回しがいちいち好き。「あなた……信じる天才なのね」「なにが合格かなんてだれが決めるの」のそこはかとないうぶみを感じた人間はたくさんいると思うがどう?

みゆきちマダムの話聞いてると、釈放されたうぶちんが気合で喫煙再開した話*1を思い出しません?

あと個人的に伊藤計劃『ハーモニー』に対するアンサーっぽさも感じた*2

 

うぶみその3:「死者が生者の道となる」宗教編

この人は本当に「死者が生者の道となる」*3がテーマの人なんだなあ……と各描写を見て思いました。

暴走族の溜まり場がお寺なのブラックユーモアが溢れすぎでしょ。「人が死なない=弔うべき人がいない=弔うという行為そのものの衰退」ってパンフ読む前に気づいたので、己のうぶみ感知力の高まりを感じた。

そしてここは単純に暴走する霊柩車が映像としてめちゃくちゃかっこいい! この世界において、この車は死ぬために生きる人を運ぶ車なんだなあって切なさのような気持ちを抱いた。あと竹一の「43秒フラットで!!!」の疾走感堪らん。ここだけでも映画館で見て手に汗握る価値がある。

生きている者の道が閉ざされた状態を表しているような寺の描写に対し、昭和111年で“道”をやっている人たちよ。彼らは100歳オーバーの人々で、鳥居の向こう側で神様気取りなんだよね。事実システム上の現人神なのだけど、そう思っていない人間もたくさんいるのに。パンフバレだけど、「自ら宗教を勘違いしていく」というのがものすごく納得と言うか、近未来というかどちらかというと現実世界の戦前感演出なのかな、と思った。『天地明察』や『光圀伝』でも垂加神道の話は出てくるけど、「日本人の宗教は暦」って発言する人のバランス感覚が冴えてる描写だと思う*4

もしかして「正しい宗教への回帰」とかもやろうとしていたのかなあ……と思い始める。あの世界自体、環境汚染と偽神という天岩戸に閉ざされた世界だとしたら、再生のヴィジョン=青い空=アマテラス、崩壊のヴィジョン=正雄=スサノオ、美子=イザナミかつアメノウヅメ、葉藏=イザナギかつアメノタヂカラオ。これは思いつきの与太の類。

 

うぶみその4:「死者が生者の道となる」人物編

「だれかが生きた世界を生きる」って美子の思いを継いだ葉藏という構図でストレートにやってて「らしい!大好き!!!」となりつつ、わたし個人としては悲しい気持ちになったよ。ふたりの最終的な望みは「ふたりで生きる=共に在ること」だったから……つくづく心中をさせない男だな、あなたは……。

正雄が「自分を見失うぞ」って葉藏に言ったのも、正雄自身の“虚無”が表れた言葉だと思う。いずれ葉藏が至りうる道への警告なんだろうな、これはどんな感情から発せられた言葉なんだろう。同情なのか期待なのか憐れみなのか。

 

括れなかったメモ

・作中対比される。赤=崩壊のヴィジョン、葉藏の心象? 自画像。青=再生のヴィジョン、ロスト体発生時の煙、美子の心象?

・何気に伏線うまーってなる。事故の翌朝、バーに正雄が来る→抗GRMP薬とか、葉藏が正雄を刺したナイフの行方とか。

・単純な萌えで、葉藏→美子の「なんでそんなに一生懸命なんだ」って聞き方がめっちゃよくないですか?

・葉藏の「ぼくたちはすべて間違った」の“すべて”ってなに? 心に生まれた黒いものと関係ある?

・正雄が「オルフェウス」って言い続けてるけど、葉藏に起きてる現象は「イザナギ」のほうがしっくりくると思っている*5

 

2019/12/15加筆:葉藏と正雄

正雄は結構ずっと葉藏の行く末を心配しているというか、自分と重ねて見ているよね。「望まぬ未来を引き寄せるぞ」とか、最後の医者としてS.H.E.L.L.創設に関わった己への後悔に端を発する助言にも見えてくる。だから「いずれ自分を見失うぞ」も助言のひとつなのかなあ。

まあそれに対して「俺はもう見失わない」って答えるのが、葉藏の生が定まった証なのだろう。葉藏は薬キメたりロスト体から人間に戻ったりするのに、竹一や美子の助けを必要としていた。失った自己を取り戻すのに、だれかの助けが必要だった。美子を喪ってロスト体になってからはずっと心を持ち続けているのも、それの強調なんだろうなあ。

 

2019/12/19追記:ヒイラギとナンテンとケシ

「作中対比される」は、人物像レベルで組み込まれているのではないか? 原案のWikipediaでヨシ子の項を読んでいるとき、そういえばなんで美子の苗字は”柊“なんだろう……と思ってヒイラギのWikipediaを読んだのがきっかけでのひらめき。全部Wikipedia知識の思いつきだから話半分でお願いします。

まずヒイラギについて、昔から生垣や玄翁の柄に利用されるなど人間の生活の関わりと深い。また生垣や庭木に使われる理由には邪鬼の侵入を防ぐと信じられてきたということもある。個人的に注目したいのは下記。

家の庭には表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)にナンテンの木を植えると良いとされている(鬼門除け)。

ヒイラギ - Wikipedia

物語序盤でロスト現象から世界を守っていたのは美子だったけど、最終的にその役目は葉藏が担うことになる。また、結果として美子自身がロスト体に力を与えてしまうのが鬼門から入ってくる鬼を連想させる。鬼の出口で待つナンテン、それが葉藏と解釈。

どちらの植物も実は赤いが、作中には青いケシが登場する。堀木正雄のモチーフとして。ケシって言うとどうしても麻薬を思い浮かべてしまうけど、花の形もうろ覚えなのでケシ目ケシ科メコノプシス属のどれかだと思うんですが、青いケシは調べてみると適法みたい。薬効もあるにはあるみたいだけど、産地の一般人からすると雑草扱いだそうな。だから正雄にケシのモチーフが使われている理由はよくわかりません!!! でも青であることには意味があるのかな〜。

 

まとめ

この映画めちゃくちゃ完成度が高いのに上映館数は少ないし上映期間は短いしで届くべき人のところに届いてないのがめちゃくちゃもったいないと思うんですけど東宝の営業殿はそこのところいかがお考えなんでしょうか!?(突然の悪口)

わたしはこんなにハマるはずじゃなかったのにこんなにハマってしまい戸惑っているんだ……だからひとりでも多くの人にこの映画を見てほしいという気持ちでいっぱいです。

「推しカプ萌えシチュ考察」「暴走する霊柩車」「オールバックメガネの櫻井孝宏のどれかにピンと来たら向いてる人間なので、場所も期間も限られているけど是非劇場で『HUMAN LOST 人間失格』を味わってください! わたしは嘘は言いませんからね!!!

 

 

 

*1:冲方丁冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』集英社インターナショナル、2016年

*2:伊藤計劃は『シュピーゲル』シリーズのラスボスのファンだったけど、完結を見ることなく夭逝しています

*3:冲方丁『オイレン・シュピーゲル弐』の登場人物が口にする台詞。この言葉に初めて出会ってから十数年忘れられない。

*4:あとやはり会津の人間だな……というか……わたしはそこが好きです。

*5:オルフェウスイザナギはどちらも死の国に嫁を迎えに行く神話

ドドド名作『幻想水滸伝Ⅲ』を13年積んでいたオタクの末路

13年積んでいた『幻想水滸伝Ⅲ』を無事にクリアして物語の切なさに打ちひしがれている……。

小癪にも「物語が進んでしまうことが怖い」「評価が分かれている」「村山信仰」などの理由で積んでいたのですが、現代にも通じるテーマ*1の描き方が素晴らしく、108星も魅力的で非常に楽しめました!

これからわたしが楽しかったところを書いていきます。ネタバレ満載だけど、このゲーム以上に百聞は一見にしかずを実感したゲームはない。1・2既プレイでもだ。オチがわかるとやる気が削がれるタイプ以外はどんどん読んで幻水3をやってほしいです。

※感情の整理用に書いているので、文体が一部めちゃくちゃ真剣で、一部めちゃくちゃ軽いです。

 

 

あらすじ

身もふたもないのだが、まとめるのが苦手なのでWikipediaを読んでもらえないだろうか……?

わたし流に説明すると、商業立国ゼクセン連邦と、草原で生活を営む部族国家グラスランド、この世界の"神"たる存在『27の真の紋章』を信仰するハルモニア神聖国を巻き込んだ『真の紋章』を巡る戦争の話、といったところです。

 

主人公は3名。

グラスランドの部族のひとつカラヤ族の少年ヒューゴ

ゼクセン騎士団で『銀の乙女』と祭り上げられるクリス

ハルモニアの傭兵ゲド

それぞれの視点で動く物語は、50年前にグラスランドを救った炎の英雄という男の存在によって束ねられていきます。

 

 

ヒューゴとクリス:相互理解と許しは別物である

彼らの故国同士、ゼクセンとグラスランドの折り合いは悪く、互いを「蛮族」「鉄頭*2」と呼んで蔑むほど。物語は争いに疲弊した両国の休戦協定が破綻することから始まります。戦火の中、ヒューゴの友人ルルがクリスの手で殺されてしまうことにより、彼らの間には因縁が生まれることとなります。

ヒューゴはクリスへの憎悪を抱えることになりますが、逃亡先のビュッデヒュッケ城の城主トーマスとの出会いが変化をもたらします。本作の天魁星*3であるトーマスは、出身が無名諸国ということもあり、両国の代表者を仲裁する役目を持つようになります。そんな彼の中立思考を代表する言葉が「もっとお互いを知るほうがいい」というもの。

ヒューゴは各所を旅しながら、その言葉の意味を考えることになります。ハルモニア正規軍の襲撃を受けたチシャの村*4で、ヒューゴはグラスランド人を守るクリスの姿を見ます。その姿を見たヒューゴは戸惑いの末に、「だれかが悲しむ姿を見ないように」という気持ちを、だれもが持つものであるからと、クリスへの敵対心を一時的に忘れることとするのでした。

トーマスの言葉は視点を超えてクリスにもかかるものとなっていきます。クリスは敵国の人々がどんな生活を営んでいるか知ろうとしませんでした。彼らが大切にする風俗文化を「蛮族の迷信」だと拒絶さえしました。

そんな彼女を変えたのがアルマ・キナン*5のユンという少女です。ユンは"口寄せの巫女"に課せられた役目を果たし命を落とします。クリスは彼女の境遇に対して、「迷信のために生贄になるのはおかしい」と憤りますが、ユンは「私が成すべきこと、成したいを成すだけ」とクリスを諭します*6。ユンの言葉はクリスに残り、彼女はアルマ・キナンの族長ユイリが施すまじないを受け入れるのでした。

そしてわたしは、互いの文化や考え方を理解することができたふたりが、和解することなくエンディングを迎えたことにとても心を揺さぶられました。ヒューゴは友人を殺したクリスを許せず、クリスの中にもグラスランド人に対する憎しみは残り続ける。共通の敵の存在で成り立っていた共闘関係をもってしても、両国の長年の禍根を払拭し切ることができずに終わったこと……非常に地に足のついた終わり方をしたと思います。しかし感動したのはそれで終わったからではなく、ふたりが互いを許さないまま、自分の国の別れの挨拶*7を交わして別れたところにあります。

憎しみの気持ちがあっても、お互いのことを尊重することは忘れない。ふたりの姿からはそんなテーマを読み取りました。

 

 

炎の英雄:英雄だって人間なんだ

わたし炎の英雄めちゃくちゃ好きなんですよ(唐突)なぜならいままでの名付けキャラの中で1番自由で人並みに欲張りなやつだから!!!

炎の英雄はグラスランドとハルモニアの間に50年後を期限とした不可侵密約を結ぶ立役者なんですが、この期限の理由が「自分と愛する女が老いて死ぬ間」で、そしてそのまま自分に宿る『真の紋章』を封印して、恋人を娶って静かに余生を過ごした。大勢のだれかのためには生きなかった。

幻水において英雄降りは珍しい生き方ではないんだけど、後世の人間が頼みの綱として頼ろうとしたら自分の幸せのために生き切ってもう死んでいたっていうのが最高に無責任(※十分責任は果たしました)! 大好き!

 

 

ゲド:立ち絵とやる気のギャップがヤバい

ゲドのこと気怠そうなおじさんだと思ってたんですけど、幻水名物やたら多い「!」を使う人だったのでギャップに驚いた。

1番は破壊者*8からルビーク*9を守ったときに発揮された熱さですね。フランツ*10を罵る村人を殴りつけて「お前はなにをしていた?」と詰めるところ。

「その潔癖さが炎の英雄を苦しめていた」と言われるものの、このシーンにおいてはゲドがそういう人間でよかったと思います、わたしも「は? なにこの村人」って思ったので。

 

 

ゼクセン騎士団:ここは銀河帝国か?

でっかい男たち5人と少年1人がクリスのためにワイワイしてるのめっちゃよい。平成の銀河帝国だった、私得。クリスに惚れてるやつも2人くらいいるけど、恋愛抜きの忠誠心が全員ガチなところが信頼できる。ラスダンに騎士団で突入したときのイベントもよかった。みなが1章で背負った罪と許しの話。

 

 

十二小隊:愉快な仲間ムーブと命のやり取りしてるときのテンションの差で風邪引く

強面のおっさん、お金と女が好きなおっさん、酒が好きなおっさん、気の強い女、無口な美形、おてんば少女の集まりという「オタクの好きを詰めました!」感は異常。普段は愉快にしてるのに、ラスダンでは傭兵としての一面を見せるとか、ゲドのことを全面的に信頼しているところとか、かっこよくて泣けてしまったよ……。

 

 

ジョー軍曹:彼を嫌いな人間はいません

立ち絵からして超絶イケてるアヒルなのだが、ポリゴンがかわいいせいかマスコット役もこなすすごい男。ヒューゴへのアドバイスがいちいちかっこよくて惚れてしまった。本編中はフリーだけど妻子と復縁するので失恋したけど。

 

 

ルックとササライ:つらい

さすがに15年以上前のゲームなので、ルックが敵だというのはずっと前から知っていた。そして13年積んでいた理由のひとつに、それに耐えられそうにないからというのもあった。今回幻水3やろうと思ったのはまとまった時間が取れたからなんだけど、実際やってよかったと思う。

ルックに関しては、彼が進んで孤独を選んでしまったことが1番つらかった。結果として世界を守る手段をひとつだと決めつけてしまった。そしてわたしたちに与えられた解決策が、彼を倒す以外になかったこともつらい。わたしからすれば2度の戦争を共に戦った仲間だし……でもヒューゴにとっては友人を喪う根本的な原因なんだよな……。

ルックとササライが平行線にならざるを得ないこともつらい。「温室育ち」「魔女に洗脳された」って言い合うように思想の根本が違うから。でもヒューゴとクリスのように理解し合う余地がなかったことがつらいよ……。

 

 

まとめ

先述のような理由で、幻水3がこんなにいいゲームだって知らずに13年過ごしてきたのが馬鹿みたいだと思う。でも蒼穹のファフナーを噛み砕く力が備わったいまだからこそ、幻水3を楽しめているようにも思います。まだヒューゴ編しかやってないので、感情が落ち着いたらクリスとゲドの英雄ルートもやりたいと思っています。ミニゲーム制覇してないしね!

 

そういうわけでドドド名作『幻想水滸伝Ⅲ』をよろしくお願いします。

 

 

幻想水滸伝III

幻想水滸伝III

 

 

*1:という名のわたしが好むテーマ

*2:ゼクセン騎士団の鉄兜に由来。

*3:本作を除き、幻想水滸伝シリーズで主人公を担う宿星のこと。

*4:グラスランドの村のひとつ。

*5:グラスランドの隠された村。

*6:閑話休題:このシーンめちゃくちゃ蒼穹のファフナーの皆城乙姫や皆城織姫を思い出すシーンになっています。ちなみにわたしはユンが最後に自分の死を理不尽だと怒るクリスに出会えたことが本当に幸せなことだと思っています。

*7:ゼクセン式:握手、グラスランド式:抱擁とまじない

*8:『真の紋章』の破壊を目論む敵。

*9:虫使いの村。ハルモニアの属領。元グラスランド。

*10:ハルモニア本国におけるルビークの地位向上のために働いていた青年

『幻想水滸伝Ⅱ』で体験するのは"戦争"ではなく"生活"である

突然ですが数年ぶりn度目となる『幻想水滸伝Ⅱ』のプレイを終えました。

とても素晴らしいゲームであることを再認識でき、とても有意義な時間でした……。

 

上記の通り、幻水2にはオケコンを観に行くほどの思い入れがありますが、プレイ自体は本当に数年ぶりでした。しかしn周した経験はダテじゃなかったようで、完全に指が操作を覚えていた。

そのくらい繰り返しプレイしたゲームなのに、何度も見たはずの名シーンでも新たな気づきを得た。今回のプレイで気づいたのは「このゲームが描くのは戦争ではなくそれすらも含めた生活である」ということでした。

 

民衆の生活描写の細やかさ

このシリーズは仲間キャラは街にいても一目でわかるくらいグラフィックが全然違うのですが、そうではない、いわゆるモブですら人間(人間とは別の種族も含むものとする)として生活しているんですよ。それぞれが村や街で、自宅や職場や溜まり場で生活している。

セリフの内容も様々。炊事の話から戦争の話まで幅広く話してくれる。イベントのたびに街のモブのセリフが変わるところもまたリアル。ハイランド王国*1に怯えていた人々が、主人公グループが一戦勝利すると応援してくれるようになるのがわかりやすい例でしょうか。主人公グループはいわゆる主導者的立場にあるので、主人公の正体を知らない人の声も好意的なものに限らない。

民衆が二国間の戦争をどう思っているかを探索時に聞けるのだが、同じくらいその日の暮らしについての話も聞ける。ハイランド王国と都市同盟が長くに渡り緊張状態にあったからこそ、彼らにとって戦いは生活の一部と化していることがわかるようになっている。

 

本拠地で生きる人々

本拠地が拡張されること、またそれに伴って労働者や旅人が増えていくのも、生活描写のリアリティに拍車をかけていると思う。前作の『Ⅰ』は住んでる様子が描かれたのは108星だけだから、より一層そう思う。ただの要塞が少しずつ"街"になっていくのが、シリーズ全体を通して楽しい要素なのだなあと実感。

 

生活を奪われた民衆のあり方

以前プレイしたときに感動したのは、焼き討ちに遭った村が細々と復興を始めていたことだったんですよね。いつまでも打ちひしがれているばかりではなく、自分たちの生活を取り戻そうと足掻いている。それは主人公が迎えるエンディングそのものでもある。

このゲームはその世界に生きる人の描写が本当に美しいと思ったのでした。

 

とにかくやってみてくれないか?

オールドゲームなので、プレイには気合がいるかもしれない。でも古いソフトとハードを買って、30時間程度を割く価値は十分にあると思う。ひとりでもこの世界を知る人が増えてほしい、わたしの話し相手がほしいから。

本筋もいいゲームなんだ、ぜひやってみてほしい。

 

 

 

*1:主人公グループの対立国。幻水2は二国間戦争を主軸に進む

うたプリのオタクに刺さったマモライ2019の曲の話

MAMORU MIYANO ASIA LIVE TOUR 2019 ~BLAZING!~ お疲れさまでした!

わたしはかなりライトな宮野真守ファン、かつ『うたの☆プリンスさまっ♪』のオタクです。以下タイトル通りうたプリに関連する(とわたしが感じた)曲の話をします。詳細なレポは期待できませんのでご注意ください。

※この記事は現場に足を運んだ仙台公演×2の記憶を手繰り寄せて書かれています。

※この記事は一ノ瀬トキヤは七海春歌と付き合っていてほしいと願う一ノ瀬トキヤ担によって書かれています。

 

 

 

Suger,Suger

ノッケからタイアップでもなんでもないじゃん妄想乙wではないんだよ!!! 本人がラジオで「トキヤのイメソン」って言ってたやつなんだよ!!!*1

仙台公演の時期、ちょうどうたプリリピラブトキヤルートやり直してたんですよ。そういうタイミングこれ歌うってね、もーーーこれオタクの妄想の中か??? ソースがあるからね、ペンライト紫にさせていただきました。2日目は気づいてもらった気がしなくもないですが妄想かもしれない。

 

Break it!

これは曲そのものではなく7月20日公演でのコーレスの話です。ところでうたプリ的に7月20日がどんな日かご存知でしょうか? ST☆RISHの結成記念日なんですよ。宮野さん演じるトキヤが所属するグループなんですけども。

レスポンス煽りでね、「ドキドキで壊れそうな〜」みたいなことを言っていたんです。これ『マジLOVE1000%』というST☆RISHの代表曲の歌い出しの歌詞*2なんです。

宮野さんはあまり自分の演じた役のこと関係ないところでは特別扱いしないって聞いてたのであんまり期待してなかったんですけど、今日来ることにしてよかったと心の底から思いました。なんと言ってもうたプリのオタクなので、へへ。

 

蒼ノ翼

上記の通りリピラブやってたわたしが限界を迎えてしまったのがこれ。今回のセトリでうたプリのオタクを絶対に泣かすという氏の強い意志を感じた。

今回のツアーは「ヒーロー」をテーマにしていたとのことでしたが、そのテーマを掲げるライブでこれを歌う意味!!! この曲はうたプリ的には春歌ちゃんが憧れのアイドル=HAYATO(CV宮野真守)を思って作った曲なんです。春歌にとってHAYATOは自分に夢を与えてくれた「ヒーロー」であることを思って泣いてしまった。

泣いた理由はもうひとつあって、わたしはこの歌を生で聞くことはないのだと思っていたからです。宮野真守の持ち歌と言うよりうたプリの主題歌として捉えていたので、プリライ以外の場で披露される可能性をまったく想定していなかった。こういう形で自分の思い出が報われることがあるんだなあと気づかされました。

 

アンコール

ほとんど唯一予習してた曲ですね、映画館でね。アンコールを呼びかけられる側から「アンコールありがとう!」という歌を作るのって、ファンに対する信頼がないとできないことだと思います。「アンコールは当たり前のことではない」って宮野さんが7/21のアンコールMCで言ってたけどその通りで、わたしたちが求めなければアーティストも出るに出れない。マジLOVEキングダムのエンドロールでこれを聞いたときも、それに応えられるだけのことをわたしはできているだろうか? と自分の姿勢を問い直されているような気持ちになりました。「私がいてあなたがいる」「あなたがいて私がいる」という当たり前ではない当たり前を大事にしたいと思うそんな一曲でした。

 

以上がわたしがうたプリ的にワーッ!となったマモライ2019の話です。話していない曲も素晴らしいものばかりで、本当に楽しいライブでした!

 

おまけ:パンフレット

会場入りして始まる前にちょっと見よ〜♡と思って表紙めくったら、宮野さんとバイクの写真出てきて「うっそだろ……」って声が漏れてしまいました。なぜそうなったのかと言うと、うたプリ担当アイドル一ノ瀬トキヤのソロベストアルバムのジャケットもバイクなのです*3……まったくの偶然だろうけど、そんなことある??? マジか……うっそだろ……。

 

 

 

『Free!』と『響け!ユーフォニアム』の感想が書けない

2019年春、『響け!ユーフォニアム』をほぼ完走。ものすごく深く刺さるが感想が書けずに放置。

2019年夏、『Free!』をほぼ完走。彼らの情念に思うところありまくりで感想ブログを書くものの、要領が得ない感じで微妙な出来。

 

どうしてうまく言語化できないんだろう……!

言いたいことが(いい意味で)山ほどある作品なのにもどかしい……ならばこのもどかしさを言語化しよう、という試み。

※スタジオ同じ以外の外部要因は考慮しません。思いつきで書いてるので。

 

両作の共通点

・主人公たちが高校生

・部活もの

・群像劇

・主人公が最初漠然と生きている

・主人公の親友の目標が高い

……くらいしか思いつかんのですが、まあ見えてくるものもある。個人的に注目したい、というかここに集約されるだろ、というのは「主人公たちが高校生」と「群像劇」です。

 

群像劇-1

個人的に『Free!』のほうが言語化しにくいということもあり、『響け!』よりも『Free!』に強い要素の話を先に。

わたしがいままで触れてきた群像劇は『蒼穹のファフナー』や『プリティーリズム 』といったラインナップ。どちらも「俺が生きる意味!」「私ができる最善!」「俺はお前! お前は俺!」って感じのことを登場人物全員がやっているんですね。これは全員同じことをしていると言いたいのではなく、各自が向き合うべきテーマに対する姿勢の話です。つまり登場人物の一挙一動が作品の根底に流れるテーマに直結するような構造になっている。

言語化しにくいコンテンツ、あんまりそういう感じじゃないかも、ということにね、さっき気づいたんですよね。いやわたしが気づいていないだけで登場人物全員が背負うテーマあるのかもしれないんだけど、強くは描いてないんじゃないだろうか。むしろ、一人一人に違うテーマ背負わせることこそがテーマなんじゃないだろうか、という見解です。

ここで一旦次章へ。

 

主人公たちが高校生

存在証明系群像劇に慣れすぎて、自分の存在理由に気づく中高生のほうがレアだということに気づかなかったよ、さっきまで。*1存在証明系群像劇は、老若男女問わず極限状態で存在理由を探さざるを得ないだけで、本来高校生ってそうじゃないんだ、そうじやないんだよな〜ッ!

本題に戻ろう。高校生の全員が全員、将来の夢を定めてそれに向けて努力しているわけではない。部活にしても、目的意識を持ってやっている子が全員ではない。そういう漠然とした生活になにか変化があって、いろいろあって目標を定めて努力する……そういう「ゆっくり大人になる」過程を見れるのが言語化しにくいコンテンツなんだなあ……という、これに関しては単純に新鮮な気持ち。

人間の存在理由ってテーマなんだな……言いたいのは「なりたい自分」が人によって違うのは当たり前だということ。ここでまた「群像劇」に戻る。

 

群像劇-2

ここまで来るとわたしの見方の問題だと気づいた。大きなテーマを重視しがち問題。存在証明系群像劇の子たちも「なりたい自分」はそれぞれの像を描く。ただ"大きな目標"が前提としてあって、わたしはどうしてもそっちを見てしまう。

Free!』も『響け!』も壁は描くけど、壁そのものが全体の主題にはならない。壁は当人だけのもの。全員にとって同じ壁はない。

 

まとめ

個に通底するものがテーマではなく、個が個であることそのものがテーマ、むしろテーマというものがないまである……というのがとても新鮮でした。主題大好きオタクに新鮮な感情を芽生えさせてくれてありがとう!

*1:そもそも存在証明系群像劇の子も「もっとゆっくり大人になりたかったな」って言ってるんだよなあ……。

私選この情念がすごい!2019受賞『Free!』感想

※1期・ES・絆・約束・TYMを見たドニワカの言いたいこと言いたいブログです。

※原作・劇場版ハイスピ・DF・夢は履修予定未履修です。

※遙と凛に関してはカプとしてではなく絶対的運命共同体なところに萌えているつもりです。

 

きっかけ

「劇場版『うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEキングダム』の予告で流れてたから」「夏だから」みたいな理由で見始めた『Free!』。結論から言うと自分に視聴適性がありすぎてびっくりしています。

リアタイで1期無人島回だけ見てたり、特典がほしいお友だちに誘われて『絆』を見に行ったりで、心に引っかかりはあったいわゆるミリしらからスタートしたのですが、そういう思い入れ補正なくても好きになれたと思えるストーリーでした。

そういうわけでいまから萌えどころの話をするのでよろしくお願いいたします。

 

遙と凛はさしずめ絶対運命黙示録

Free!』好きなお友だちから「あれは青春の話だ」とは聞いていたのですが、まさにその通りというか、予想を超えた情念の描きっぷりに動揺してしまった。

このアニメが「競泳に打ち込む人々の感情」を描いていることはかなり早い段階で理解できましたが、特にツボったのが章題に挙げた七瀬遙と松岡凛のライバル関係です。

先に笑いどころとしてのツボの話をしますと、登場人物各位の心の乱れの原因の大半が遙と凛に集約されるのがおもしろすぎましたね……彼らが中1の冬に行った勝負が『Free!』という物語の始まりと言っていいレベルで、ほぼすべての登場人物に影響を及ぼしていた。もし『Free!』が『魔法少女まどか☆マギカ』だったら、あのふたりの因果のエントロピーで世界2回変えられるレベル。

いまさら真面目な話がしにくくなってきたので1度別作品の話を挟もう。『はじめちゃんが一番!』という漫画に"WE(ウイ)"というアイドルコンビが出てくるのですが、終盤、彼らの関係が相互的なダンボの羽に喩えられます。

遙と凛もそうだな〜と感じたのでした。確かオーストラリア旅行のときに凛が「ハルには俺の先を泳いでいてほしい」という趣旨の言葉を伝えていたように思うけど、それってそういうことじゃんね。遙は遙で、凛がいない競泳界に興味ないし、互いに互いが必要だったのが彼らなんだと思っています。

 

本当にすごい情念は絶対的運命を巡る関係各位が抱えている

そう、トータルして情念がすごいのは遙と凛じゃない。彼らの仲間たちが遙と凛に向ける情念がすごいんですよ!*1

遙と凛はお互いに影響し合うだけではなく、それぞれがいろんな人に影響を与えている。ここまではよくある話だと思いますが、影響を受けた子の99割が内心で強い感情育ててるのがわたしが「情念〜!」と言ってしまう原因のひとつになっている。また『Free!』で描かれる情念は登場人物に善人しかいないから成り立っているところがあると思っていることも原因。

ESから登場した山崎宗介くんがその最たるって印象です。「最後に仲間と泳ぎたい」という年相応なワガママと、凛の相棒という自負で動いていたのが健気だよな〜。情念がやべえな〜。

宗介みたいな立ち位置の子の行動理念って「なんで俺じゃないんだ!」「なんで俺なんだ!」という怒りや憎しみを担うケースのほうが多そうなのにそうではなかった。*2

言及しないけど遙強火担の怜とか、凛先輩大好き似鳥くんとかも括りはそこ。遙と凛は関係各位に責任取るべし。

 

いまならわかる、フォロワーが言ってたこと

まだ完走したわけではないけど、「推しを推す推しが見たいなら『Free!』」というフォロワーの言葉通りのアニメでしたね。まさかこんなにすごいもの見せつけられるとも、自分の感性が適合してるとも思わなかったけど。*3

先が気になりすぎるので上映してるうちに『夢』観に行きたいです。

 

*1:これは前作った主観相関図

f:id:nh12:20190816172248j:image

*2:これに関しては1期の凛で多少やったことでもあるから宗介でやらなかったのだとも思う

*3:1期リアタイ友人たちの反応も見ていたし、人を選ぶアニメというのも聞いていたので

宮野真守はすごい 〜2019年夏、仙台でマモライ初体験〜

※初マモライで育った宮野真守さんへの巨大感情ブログです。セトリ演出のネタバレは一切ありませんが、7月20日公演開演前に宮野さんがとった行動の話をしています。

 

 

 

いや〜〜〜宮野真守すごい!!!

わたしは声優:宮野真守の活躍はかなり長い期間応援というか、見てきたと思っています。アニメのイベントにはそこそこ行っていたし。

ですがアーティスト活動は「まあいますぐはいいかな」と思って結構ふんわり追いかける程度でした。うたプリの主題歌を聞くくらいで。今回は住んでいるところに来るということだったのでかなり気軽に申し込みました。2、3年くらい前にも住んでるところでやったけどそういう理由で見送った。少し後悔していたこともあり、今回は行ってみるかな……という本当に軽い気持ちで。

最近のわたしはうたプリの映画で忙しくて、予習もほとんどせずにライブの日になっちゃうなワハハwwwと思っていたなんでもなかったはずの日に、京都アニメーション放火事件が起きました。キャストとして深く関わりのあった宮野さんのブログの更新が、その日から途絶えました。わたし自身が怒りと深い悲しみに折り合いをつけ切れずにいたこの件に関して、業界の方々の心痛は計り知れませんし、当然のことだと思います。

彼がブログを更新していなかったこともあり、今日のライブが事件に対する宮野真守の感情を初めて知る場になることはみんな想定していたのではないでしょうか。わたしと同じくひとりで参加されていた隣の方と、開演前に事件の話になり、どんな風になるだろうと考えていました。

開演時刻になって、宮野さんはバンドメンバーとダンサーのみなさんと共にステージ上に現れました。みなさん黒い衣装。宮野さんは言います。(下記すべてニュアンスです)

 

「アニメーションが好きだということ」

「それに関わるすべての人に敬意を抱いていること」

「同じ気持ちを持ってここに来ている人は、共に黙祷を捧げてほしいということ」

 

突然ですがここで超絶推しアニメ『蒼穹のファフナー』の話します。戦時下という非常時いままでと同じようにお盆祭りを行うことに関して、登場する姉妹が「こんなときでもやるんだ」「やらなきゃいけないでしょ」というやりとりをするのですが、ここ最近ずっとリフレインしています。

東日本大震災のときから、"エンターテイメントと自粛"の線引きが問われていると感じていて。宮野さんの場合、今回のツアータイトルは「BLAZING!」で、披露予定曲として「FIRE」がある……それでも彼はステージに立たなければいけない。どんなステージになったとしても、わたしはそれを見守ろう……という心情で今日という日を迎えたわけです。

黙祷を捧げたあと、宮野さんに対する敬意で胸がいっぱいになってしまった。「ああこういうことができる人なんだな」という感慨と言えばいいのかな。祈りは捧げる、しかし自身が定めたテーマは貫くというのが、わたしにとって理想のエンターテイナー像だったと言っていい。

ライブはその哲学が現れていたように思います。すべてのパフォーマンスが素晴らしく、わたしは最初から最後まで「ライブが楽しい!」という気持ちでい続けることができました。それこそが、エンターテイメントだよねえ。

宮野さんがとある曲*1にかけてしきりに感謝を述べていたのがとても印象に残っています。自惚れではなく事実として、わたしたちにとって宮野さんがそうであるように、宮野さんにとってわたしたちがそうなのだと思えたからです。

今回のライブが「意味があるものにならざるを得なかったこと」は、個人的にいいことだと思いたくありません。「楽しかった数あるライブの一公演」であるほうが絶対にいい。しかしそういう状況から逃げることなく最初から最後までエンターテイナーとしてあり続けた宮野さんの姿は一生忘れないと思います。

本当にありがとうございました。

 

そして最後に。

 

いや〜〜〜宮野真守ってほんと〜〜〜にすごい!!!

 

 

(2019/09/09追記)

うたプリのオタク的に、特に一ノ瀬トキヤ担的にグッと来た曲の感想ブログ書きました。この記事には書いてない「楽しかった!」を詰めてます!

*1:2019/09/15追記 これは「僕はヒーロー」です。語る言葉自体は雑誌インタビューなどと同様