情緒よりも主観。

うたプリやアニメや映画について、思ったことをいろいろ書くオタクブログです。

『シン・エヴァンゲリオン:||』感想

わたしのエヴァへの態度は「親戚の子供の卒業式に行くことになったので、彼または彼女の小中高の卒業アルバムを見て卒業式に参加した」と言うのが適切だと思う(3/13に突然思い立って序破Q一気駆けしたオタク)

下記はそんなわたしの序破Qの感想。  

この序破Q見て思ったことに対してシンが出したアンサーについて書いていこうかなと思います。正直言いたいこと1個に対して読み解かなきゃいけないことが1000個ある感じなので、このブログもライトユーザーの言葉だと思って読んでほしい。

 

シンジとミサトは信頼し合いたいのにあと一歩で届かなかったわけだが、きちんと信頼し合える関係になれたのがめちゃくちゃよかった~! シンジが成長、傷つくのを恐れずに世界と関われるようになったことで、ミサトが彼を「大人」と認めて「『上司』として責任を取る」ことを宣言したシーンがあんまりかっこいいので号泣した。

シンジとトウジとケンスケの友人関係って、Qまでのシンジにとって唯一形成に成功した人間関係だと思っているので、そんな彼らがシンジを「信じて」「待って」くれるのすごくいい関係だよね。

だからサクラの「恩人だけど憎くて……」が効いてくるんだよな。ニアサーはシンジが意図したものじゃないことをわかっていても、自分ではどうしようもない憎しみは存在していて、でもそれを必死で許そうとしている。シンジもサクラの憎悪を悟ってなにもしない……贖罪……。

カヲルの話したいんだが、彼の存在を語るにはあの世界に対する知識が不足しているので喋っていいのかな……と思うけど喋っていい? 結局彼はシンジのイマジナリーフレンドということでいいのだろうか……? でも別個の存在っぽい気もするし彼は……なに……?

シンジの成長→シンジとゲンドウの対話→ゲンドウの成長っていうのを、作中一貫して登場するモチーフ=電車で表現しているのなるほどキービジュアルって思いました。てか主題歌めちゃくちゃゲンドウの歌なんだが、エヴァってゲンドウの話なのか?

シンジがレイに向ける感情、わたしにはまだよくわからないのだけど、序破レイもQシンレイも立ち回りとしてはシンジの心を癒してくれる存在だったのかなあという気がする。シンジの奮起のきっかけは常に彼女だな、と思うし。

あとこれはカップリングの話なんですけど……他媒体でケンスケとアスカにフラグが立つこと知ってたので「ここで拾う!?」と驚きながらも萌えました。あとシンジとアスカが一瞬両思いだったっていうのも思春期特有の現象っぽくていい。

この他はまた思い出したら書きます。昨日の記事に比べてざっくりでごめん。