情緒よりも主観。

うたプリやアニメや映画について、思ったことをいろいろ書くオタクブログです。

「うたの☆プリンスさまっ♪ Metamorphose」がめちゃいい企画だなと思った話

うたプリから化粧品が出るぞ!

……というだけの話じゃないなあと思ったので久しぶりにブログ書きます。

まずは公式サイトを見て概要を把握してください。うたプリから化粧品が出ます。

 

わたしはデザイン素人なので主観の話になってしまいますが、このパッケージすごくないですか? かわいい、その上で誰の手の上にあっても違和感がない。カラフルだし遊び心のある意匠だけど締め色が効いててクールにさえ見えもする。

中身の色味もすごい。特にアイシャドウ。アクセントとしてしっかりモチーフカラーを取り入れつつもベーシックカラー2色でしっかり引き締めている。化粧品として「普段使い」されることを想定した内容だと思います。

なにが言いたいかというと、「『変身』『変化』を『色』で鮮やかに」というブランドコンセプトをとても丁寧に扱っているということです。うたプリのファンのメイン層がおそらく女性、そしておそらく二、三十代と考えると化粧品って日用品なのでグッズとしてストライクではありますが、ではそれ以外のファンには? というのを考えて、手が出しにくい層まできっちり手を差し伸べるデザインになっているのが本当にすごい。上で「誰の手の上にあっても違和感がない」と書きましたが、誰というのが本当に老若男女問わないようになっている。モデルのプリンスたちが異性装してるのもブランドコンセプトのメッセージ性を強くするのでとても、とても素敵ですね。

化粧する習慣がない人がこれをきっかけに化粧を始めたり、普段化粧する人でも自担をきっかけに初めて使う色があったり、そういう「変化」をうたプリが後押ししてくれるのめちゃくちゃいいな、素敵だなと思いました。

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY HDリマスター版』を見ました

わたしは以前、種運命を理由に16年種シリーズを憎み続けてきた、と書いた。恨みの内容は好きカプがことごとくグダグダにされたからということも。

過日種HDリマスター版を完走し、その評価を「種の男女カプめちゃ萌えるから許した」に改めたとき、種運命との和解の道に光明が見えた。わたしの逆思い出補正がヤバいだけで、好きカプ(とついでに本編も)グダっていなかったのでは? たまに疼く古傷の跡と向き合う日が来たのではないか? 

そしてわたしは『ガンダムSEED DESTINY HDリマスター版』の視聴を開始した。

結論から言うと「ギリ和解」です。

今回は前回と趣向を変えて「かつてグダだと思ったが己の経年変化で評価が向上(下降)した」「これやったならここまでやれ!」「知らんOP・EDや謎平井パワーシーンなどで爆笑した」をざっくばらんに書いていこうと思う。対戦よろしくお願いします。

※ちなみに男女カプ傾向は上記種HDリマスター版感想を参考にしてください。

 

当たり前のように「いえ最初から主人公は3人です!」ヅラしてるのは草

わたしは本放送版の3クールOPのタイトルバックが途中でデスティニー→ストフリに変わったことを一生忘れないからな!? でも「最初から3人主人公」って思ってれば主人公交代グダ……とかの雑念はなく見れはする。

種運命にテーマがあるとしたら「その力があれば、すべてを守れると思った」(これは幻想水滸伝2の名キャッチコピーです)に近いと思っていて、シン・アスラン・キラの三者三様の「守りたい」気持ちを以前に比べて掴めるようになったと思う。わたしは17話のシンとアスランの会話が好きなんですけど、最終決戦のふたりのやり取りがそれを踏まえたものになっていたのは熱かったね。

知らんOPと知らんEDに知らんて言うのは仕方なかろうが!?

これは種HDリマスター版のときから思ってた。だって本当に知らない曲流れてくるし新規カットしれっと混ざってるんだもん……いや新規カットはGJだが、デストロイをバックに離れゆくシンステとかね。

でも4クールOPでケミストリーじゃなくヴェステージ(FPOP)流れてきたのは本当に爆笑してしまった。種2クールEDが石井竜也じゃないことも笑ってたが。

OP・EDの本放送スペエディHDR版の比較に関してはWikipediaにまとまってるのでそちら見て違いを味わっていただければと思います。

 

記憶の256倍くらいカガリが不憫

「18歳の女の子」だから周りの政治家おじさんたちには舐められるし、婚約者からはモラハラ受けるし、元国民にも弟(仮)にも詰められるし……本当に1・2クールは見ててしんどかったですね! しかもこれ全部ウズミが生きてたら回避できた不憫ムーブだったので視聴中彼の悪口10回くらい言ったな。

 

小休止:ここを突きたい重箱の隅

・匂わせたわりにネオとレイの因縁が深掘りされなかったの惜しいな〜。

・「子供がほしくて」議長と別れたタリアが議長と不倫してるのはどうなん!?

・確かにキラは種で悩み尽くしたかもしれないが、種運命でも悩む姿見たかった。

・回想をモノローグの代わりにすな。

 

これが本題:カップリングトーク

・シンステ:シンとステラの悲劇性が強すぎて萌えてる場合じゃないよ……てなってしまった。恋愛未満だったけどふたりの思い出や互いへの好意は本物で純粋で、だからこそシンのフリーダムに対する憎悪が大きくなっていく話の流れはすごくよかった。

・ネオマリュ:「なぜか生きてるムウ」って一生言い続けはするがまあ……もう……許す! 萌えたので許します!!!

・キララク:わたしは種のキラ(→)←ラクくらいの矢印加減が好きだったので、種運命キラがラクスのこと好きな描写に「???」になりつつも「まあ戦後なにかしらあったならヨシ!」で萌える方向に転換した結果3本くらい小説書きました。

・アスカガ:種運命PTSDの原因にしてトップ好きカプ。でもHDリマスター版見た感じだと、グダにされたと言うより放置されてたのほうが正しい気はするし、「まあそれくらいなら……」てちょっとガードが緩んだところに39話をブッ込まれ完全に許しました。アスランって全編通して口下手だな〜て思ってたんですが、カガリと話すときだけはなんだか落ち着いて自分の心を吐露していて、その姿にじんわりと萌えました。宇宙に出る前にカガリがキラとラクスを抱きしめるシーン、アスランのときはアスランから抱きしめているので、「アスランカガリのこと好き、カガリアスランのこと好き」がわかり本当に、本当によかったな。16年前のわたし、よかったね……! でも傷は傷だということは一生忘れませんからね。

 

そして劇場版へ

種運命ラソン中に発表来たからめっちゃびっくりしたよね。マジで……マジでなにやるんだろうね!? わたしは好きカプが収まっててくれればもうそれで満足ですがそうならない可能性も十分あるのでめちゃくちゃ怖い(この怖いはまんじゅうへの恐怖ではない)

怖がりつつ楽しみに待ちたいです。

『機動戦士ガンダムSEED HDリマスター版』を見ました

16年、わたしはガンダムSEEDシリーズを憎み続けてきた。原因は『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』、恨みの内容は好きカプがことごとくグダグダにされたからという男女カップリング厨極まれりというやつだ。その憎しみを抱え続けた期間が16年。子供が産まれて高校生になる年月が過ぎていた。えっ、種運命そんな前?

そんなわたしに転機が訪れた。dアニメストアのサジェストに種シリーズが現れたのだ。そう言えば、種運命憎しであんなに好きだった種のアニメも遠ざけていたな……HDリマスター版、なるほどね。

「これも運命(さだめ)か」

わたしは気まぐれに『機動戦士ガンダムSEED  HDリマスター版』の視聴を開始した。来るべき種運命との和解に向けて……。

結論から言うと「種、普通におもしろいじゃん」であった。人工的に遺伝子的素質に優れるように生まれたコーディネイターと、自然のままの人間ナチュラル。相互不理解による戦争の虚しさなどのテーマは、16年前に見たときよりも理解できた。

でもやっぱり種の一番いいところは男女カプだと思う!!!(クソデカ大声)

オタク自我の黎明期に視聴しただけあってお出しされる男女カプが全部最高、嘘じゃない、見ればわかる。種は結構群像劇なので男女カプの話してれば本編の話もまあまあできる気がするので、これから今回の視聴で萌えた男女カプの話をしていく。対戦よろしくお願いします。

 

キラフレ+サイ

フレイ・アルスターちゃんがいいキャラすぎた。無邪気、短慮、純粋。一言で「世間知らずのお嬢様」と言い表せる。

だから「よく知らないもの」=コーディネイターが怖い、近づきたがらない。表面上コーディネイターのキラにも親しげに接するが、事件が重なるたびに「コーディネイターのくせに馴れ馴れしくしないで!」「あんた、自分がコーディネイターだからって本気で戦ってないんでしょ!」と彼女の本音が露わになり、それでキラを追い詰めていく。それが彼の立場だとめちゃくちゃしんどいのが素晴らしい!

父親の死を契機に彼女のコーディネイター憎悪は最高潮に達する。キラに取り入り、ひとりでも多くのコーディネイターを殺させようとするのは一種の覚悟を感じた。婚約者のサイ(ちゃんと好きだった)を捨ててまでですからね。

最初は利用するために近づいたキラの優しさに触れて、次第に本気で彼を好きになる。でもそれを認められなくて(認めたら自己矛盾が発生するから)キラに八つ当たりしたり、サイと口論したりと彼女の揺れる思いは見てるこっちも苦しくなる。

サイと言えばマジで善人だったんですよね。いつもみんなのことを気にかけて、フレイのことが好きで優しくて、キラにも分け隔てなくて。だから三角関係に発展したときの泥沼がしんどかったですね……。帰ってきたキラとサイが「ぼくにできること、ぼくにできないこと」の話をするのが印象深かったな……サイ・アーガイルくんの今後の人生全部うまくいきますように。

最終回のキラとフレイが喋ってるシーンのこと長らく謎空間対話だと思ってたんですが、キラの悔やみとフレイの走馬灯がそれぞれ別で走ってたんですね……だからフレイの謝罪も感謝も守りたい意思もキラには伝わってないのめちゃくちゃ切ないじゃん……でもフレイの魂はキラと共にあるんだ。

 

キララク

めちゃ王道のボーイミーツガールでオタクは我慢できなかった。思ったよりめっちゃ萌えてるのでまだうまく言語化できない。でもめっちゃ萌えてるよ……。

 

ムウマリュ

同僚としての距離感がめっちゃ良じゃん!? 軽くて砕けたお兄さんが立場ゆえに肩肘張ってるお姉さんを和ますやつ、そういうのだーい好き♡ 「付き合わねえかな……」とニヤニヤ見守ってたら本当に付き合ってしまったので「付き合うな!!!」ってキレてしまったの、我ながら厄介だなと思った。いやわかるよ。ふたりとも年頃の男女だしそんな拗らせた性格してるわけでもないのでいい感じの同僚となら普通に付き合うよね……厄介なわたしが悪い……。

 

トルミリを経てのディア→ミリ

トール(ナチュラル、ミリアリアの彼氏)がコーディネイターにも分け隔てないめっちゃいいやつで、ディアッカコーディネイター)がナチュラルを見下してる嫌なやつという対比が効いてくる線と線の関係。

ミリアリアとの交流がディアッカに変化を及ぼして、さらにそのディアッカイザークを変えるっていう繋がりが見えたのがよかったなあ。

 

やっぱりヘキの根源=アスカガ

後半のまあまあ喋ってるアスランの印象が強かったので、前半アスラン全然喋らん!ってびっくりしちゃった。(いやキラとはよく喋ってたけど……)だから無人島回でやっとアスランの本音というか少年らしさみたいなのがわかるわけだが、それを引き出すのがカガリっていうフラグ立ては16年ぶりにすっっっごく萌えました。

キラを殺したアスランとやりとりするカガリも、「もうだれにも死んでほしくない」とアスランハウメアの護り石(お守りアイテム)を託すカガリの行動も、作品の解そのものなんだよな。

カガリの「生きるほうが戦いだ!」ってセリフは砂漠の虎からの問いかけ「君も死んだほうがマシなクチかね?」への彼女自身の答えでもあるんですよね。「生きる」んだよ、ふたりでね。

てかふたりのファーストキス平井パワーでおそろしいほど美しくなっててもうそれだけでHDリマスター版に☆5ですわよ……本当にありがとう……。

 

まとめ

結論:種とは和解できた。

まあ種とはね……男女カプがマジでよかった。しかしこれまだ種運命和解の前哨戦にしか過ぎないのめっちゃウケる。このまま綺麗な種の視聴経験だけで終わっておくべきでは!?という気になってきた。正気になるな!!!

宮田俊哉(Kis-My-Ft2)feat.一ノ瀬トキヤ(ST☆RISH)『Nemophila』における質感表現について

 二次元と三次元には絶対的な隔たりがある。しかし、私は近年のテクノロジーの発達は人間の認知に変化をもたらしたと考えている。本来時間の制約を受けないキャラクターが我々と同じ時間を過ごしているような感覚。キャラクターの筆跡などの痕跡から逆説的に再構築される彼らの身体。それらを「現実のもの」として提供する制作陣とそれを受け入れるファンの共犯関係。これらの働きにより、その境界はある程度曖昧なものとなるレベルに達している。

 2021年5月7日に発表された宮田俊哉Kis-My-Ft2)feat.一ノ瀬トキヤ(ST☆RISH)『Nemophila』では、三次元アイドル=宮田俊哉と二次元アイドル=一ノ瀬トキヤのコラボ楽曲でありMVである。今回注目したいのはMVにおける一ノ瀬トキヤの質感についてである。

 繰り返すようだが、宮田は三次元のアイドルだ。対して、一ノ瀬は二次元のアイドルである。宮田の完成された世界観に紛れる一ノ瀬は歌声においては完全に調和している。しかしMVに映り踊る姿は三次元の存在としては「異質な存在」に映る。

 私はそれが「あえて」行われた表現だと考えている。その根拠は『Nemophila』の歌詞だ。いまは遠くにいる大事な人を思うような言葉が綴られている。この歌詞は宮田と一ノ瀬の連名で作詞されたものである。二次元と三次元それぞれのアイドルが「遠くの誰か」を思って生み出した言葉たち。それは、二次元と三次元の隔たりをもどかしく思いながらも繋がりを諦められない心を表しているという印象を受けた。

 このような歌の表現の場合、一ノ瀬の質感は三次元に近づけるのではなく、二次元のアイドルという面を強調したほうが歌詞の意図に一致するのではないだろうか。

 二次元は三次元にはなれない。だが、二次元のままでも三次元に存在することはできる。今回発表されたMVは、二次元と三次元の融和表現としてとても貴重なものとなったと思う。いちファンとして、それに感謝して喜びたい。

 

参考過去ブログ

『シン・エヴァンゲリオン:||』感想

わたしのエヴァへの態度は「親戚の子供の卒業式に行くことになったので、彼または彼女の小中高の卒業アルバムを見て卒業式に参加した」と言うのが適切だと思う(3/13に突然思い立って序破Q一気駆けしたオタク)

下記はそんなわたしの序破Qの感想。  

この序破Q見て思ったことに対してシンが出したアンサーについて書いていこうかなと思います。正直言いたいこと1個に対して読み解かなきゃいけないことが1000個ある感じなので、このブログもライトユーザーの言葉だと思って読んでほしい。

 

シンジとミサトは信頼し合いたいのにあと一歩で届かなかったわけだが、きちんと信頼し合える関係になれたのがめちゃくちゃよかった~! シンジが成長、傷つくのを恐れずに世界と関われるようになったことで、ミサトが彼を「大人」と認めて「『上司』として責任を取る」ことを宣言したシーンがあんまりかっこいいので号泣した。

シンジとトウジとケンスケの友人関係って、Qまでのシンジにとって唯一形成に成功した人間関係だと思っているので、そんな彼らがシンジを「信じて」「待って」くれるのすごくいい関係だよね。

だからサクラの「恩人だけど憎くて……」が効いてくるんだよな。ニアサーはシンジが意図したものじゃないことをわかっていても、自分ではどうしようもない憎しみは存在していて、でもそれを必死で許そうとしている。シンジもサクラの憎悪を悟ってなにもしない……贖罪……。

カヲルの話したいんだが、彼の存在を語るにはあの世界に対する知識が不足しているので喋っていいのかな……と思うけど喋っていい? 結局彼はシンジのイマジナリーフレンドということでいいのだろうか……? でも別個の存在っぽい気もするし彼は……なに……?

シンジの成長→シンジとゲンドウの対話→ゲンドウの成長っていうのを、作中一貫して登場するモチーフ=電車で表現しているのなるほどキービジュアルって思いました。てか主題歌めちゃくちゃゲンドウの歌なんだが、エヴァってゲンドウの話なのか?

シンジがレイに向ける感情、わたしにはまだよくわからないのだけど、序破レイもQシンレイも立ち回りとしてはシンジの心を癒してくれる存在だったのかなあという気がする。シンジの奮起のきっかけは常に彼女だな、と思うし。

あとこれはカップリングの話なんですけど……他媒体でケンスケとアスカにフラグが立つこと知ってたので「ここで拾う!?」と驚きながらも萌えました。あとシンジとアスカが一瞬両思いだったっていうのも思春期特有の現象っぽくていい。

この他はまた思い出したら書きます。昨日の記事に比べてざっくりでごめん。

ヱヴァンゲリヲン序破Q覚書

3/13に突貫で序破Q見たので、シンを見る前にツラツラと。3/14にシンを見るまでに思い出したら増えます。

 

シンジくん、過去父親に捨てられた経験が人格形成に大いに影響している。結果として世界に安心できる居場所がないので、世界に対する期待がまったくない。

それを変えるきっかけになったのが「父親へのコンプレックス」で共感を示してきたミサト。

シンジは世界に関わりたくて仕方がないけど、世界と関わることで発生する摩擦への耐性が異常に低い。だから自分に優しくしてくれた人・共感してくれた人・話を聞いてくれた人に対して超速で依存し、その度に手酷く裏切られたように感じてしまう(今後ずっとそう)

シンジは父親に「乗れ」と言われたときミサトに縋るように目線をやる。でもミサトがシンジに対して担う役割は「保護者」ではなく「上司」なのだ。ミサトは共感と自身の責任をきちんと割り切って責任を通すので「乗れ」と言う。そこでシンジのミサトの評価は「信じられないけど信じたい人」に定まったのではないか。

トウジは「シンジの選択によって生まれた被害者」として初めて現れた人物で、シンジを傷つける=罰を与える役割を持っている。シンジは自身の善なる行為が「罪」とされることを理不尽だと思い続けながらエヴァに乗り続ける。トウジとはその後和解に至り、シンジもトウジを傷つけることで「友人」としての関係を構築した。これがシンジの人間関係成功体験として築かれた第一層かな、と思う。しかし第一層に過ぎない。シンジを根本的に変えるには至らない。

エヴァに乗るしか他者と繋がっていられない」と言うレイに対して、「そんな悲しいことを言うな」というのはシンジくんの結構大きな変化だと思ったんだけどな。

アスカは「エヴァにしか居場所がない」と断言する少女。尖った言動を続けるが、シンジ・レイと衝突しながらもいい距離感を形成してく。自分の感情をミサトに話すことができるようになったアスカはひとり「大人」になっていく。

ミサトとリツコが話したヤマアラシのジレンマと、カヲルのピアノの反復練習の話は同じ話なんだよな。シンジは「人付き合い」の反復練習が足りない。成功体験はトウジ・ケンスケのケースのみである。そうであるばかりに、またしても寄り添ってくれた人=カヲルに依存して適切な距離感を見失ってしまう。

シンジの世界は狭い。自分の居場所のなさゆえに、「居場所たりうる人」の存在に気づいた瞬間盲信してしまうほどに。そして「居場所たりうる人」が自分を傷つけたとき、一転攻撃的な態度を取り、自分の選んだ行動の原因をその人にしてしまう。

エヴァで「大人になる」ということは、自分の行為で発生した責任は自分で取るということなのかな。シンジは選択そのものからは逃げていないが、責任からは逃げ続けている、だれかのせいにすることで。

 

3/14シン見る前

ミサトがシンジをセントラルドグマに連れていって命懸けで戦ってる覚悟を共有するシーンとか、ミサトがシンジへの情を捨てきれないところとか、シンジがミサトのことを信じたがっているのとかが結構好きなんだよね。

一晩経ってもシンジからレイへの感情がよくわからないんだよな。

『花束みたいな恋をした』感想

あらすじ

明大前駅で出会ったサブカル男女(大学生→社会人)の恋模様を軽妙(オタク的レトリックとも言う)なモノローグを交えて描く。あとは公式サイトを見てください。

 

以下、オタク自認があるアラサーOLのネタバレあり感想

(箇条書き時系列適当でいい?いいよー!)

・わたしはフラグが立った男女であれば大体推してしまうチョロ男女カプ厨なのですが、序盤で互いの趣味を語り合い楽しそうにしているふたりを見て「はよくっつけ!!!」と念じていた(別れそうだな、とは思ってた)

・ボロアパートで髪乾かすシーン、推しカプでパロりたいシチュランキング上位に食い込んできた。

・「こういうコミュニケーションはしたいほうです」って教えてくれる絹と付き合いたいな、になった。

・『宝石の国』泣きどころあったか?(厄介オタク)

・就活は……就活はしろ……! 生命線の確保のために……と思ってたら普通にその後回収された(あたりまえ体操

・生活苦、人を変えるよな、よくも悪しくも。わかるよ(冨岡義勇)

・絹と共にいたいから就活をして、仕事に打ち込むうちに娯楽を楽しむ心の余裕を失っていく麦=趣味で繋がった絹との関係が次第に閉じていく麦。趣味で繋がる機会がある者としては「他人事じゃない……!」になった。大事にしよう、お友だちとフォロワーのこと……。

・「もうパズドラしかできない」仕事休んで精神科行け。

・飼い猫が泣いてるやつは演出過剰だと思った。

・ふたりの靴が変わっていく演出はすごく好きだった。

・終電までに告白しよう/参列した結婚式の1日が終わるまでに別れよう、の対比美しすぎるな〜!

・最後のファミレスシーンで別れる→別れたくない→プロポーズまで見せてから、「これから付き合うであろう同じ趣味の男女」を登場させて、もうふたりが「同じものが好きだった、それだけで世界がふたりだけのものみたいに楽しかった」ころには戻れないと悟るシーンつらいけど、マジでめちゃくちゃ美しいんだよな。みんなここまで見届けてくれよな。

・これはよくもあしくも「カップルの背中を押す映画」だと思った。今後の関係に悩んでるカップルがいたとして、その背中を押したとき、別れを選ぶか関係修復を選ぶかは見たカップルに寄ると思う……。

・まあモラトリアム期の恋人に思い入れがある人の精神は平等に破壊されるのではないだろうか。

・ふたりが泣き出したあたりでわたしも泣きました、推せる男女がくっつかないのはつらいことなので。

・タイトルについてずっと考えてた、いま気づいた。絹「男の子は女の子から花の名前を聞くと、その花を見るたびに女の子のことを思い出すようになる」というセリフ。これふたりにとってはもうモノとしての花に限ったことではなく、共に過ごしたすべての時間=思い出が"花"で、だから「花束みたいな恋」なんだ。